地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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熊阪台州氏(その2)47~高子山の「高子二十境」⑧

 「伊達の香り」が示す「玉兎巖」の位置を参考に、「玉兎巖」の漢詩に添えられた谷文晁氏の挿図を見ていると、高子山の北側から眺めた風景という事になるだろうか。
a0087378_665282.png 「丹露盤」の漢詩に添えられた谷文晁氏の挿図は高子山の西側から眺めた風景だ。こちらの実風景は、高子山の稜線を確かめるのに何度か眺めていたのでなじみ深い。
 それに対し、「玉兎巖」の漢詩に添えられた谷文晁氏の挿図と実風景の関係性をスムーズに感じとることができていない。
 先にも記したが、駅前に掲げられる「高子二十境遊歩道案内」などでは「玉兎巖」の位置は別の地に記される。
 今回は散策の参考にさせていただいている「伊達の香り」が示す「玉兎巖」の位置は「丹露磐」近くの南東方向だ。
 この事を頭において、「玉兎巖」の漢詩に添えられた谷文晁氏の挿図を見ると、高子山の北側から眺めた風景のようだということだ。
 「玉兎巖」を意識して高子山を眺めたことはなかった。次の散策の機会に眺めてみたい。

 前回、「永慕編(熊阪台州)」の先の版は、地元の周俊・淑翰という方が二十境図を描いていたとされる情報についてふれた。
 ネットで、その周俊・淑翰氏の描いた挿絵と谷文晁氏の挿図が見比べられるページを見つけた。
 「福岡大学図書館」の「江戸・明治漢詩文コレクション」のページで、そのトップページに示されるのが、周俊・淑翰氏の描いた「丹露盤」挿絵ではないのかなと想像する。
 http://dc.lib.fukuoka-u.ac.jp/kanshibun/index.html

 その「コレクション紹介」のトップページに示されるのが、今回の「玉兎巖」の漢詩に添えられた谷文晁氏の挿図のようだ。
 http://dc.lib.fukuoka-u.ac.jp/kanshibun/collection.html

 その「目録データベース」の33に示されるのが、天明8年序(1788)刊の永慕前編で、周俊・淑翰氏の描いた「採芝崖」挿絵が確認できる。
 http://dc.lib.fukuoka-u.ac.jp/kanshibun/search_shousai.php

 その「目録データベース」の34に示されるのが、寛政13年刊(1801)刊の永慕前編で、谷文晁氏の描いた「採芝崖」挿絵が確認できる。
 http://dc.lib.fukuoka-u.ac.jp/kanshibun/search_shousai.php

 また、その「雅文学への誘い」では、その挿絵のみが改められていることの解説がある。
 http://www.lib.fukuoka-u.ac.jp/e-library/tenji/gabungaku/shiryou/s1_02a.html

 ただ、残念ながら、ここで周俊・淑翰氏の描いた挿絵と谷文晁氏の挿図とを見比べられるのは、「丹露盤」挿絵と「採芝崖」挿絵だけだ。
 しかも、「採芝崖」については、「伊達の香り」が高子山にあるとする情報を確認しただけで、その位置や実風景だけでなく、漢詩の確認もできていない。
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by shingen1948 | 2018-05-16 10:05 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)