地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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熊阪台州氏(その2)46~高子山の「高子二十境」⑦

 「伊達の散歩道(伊達市商工観光課)」の「高子二十境めぐり」という散歩資料の「伊達氏発祥の地・高子ヶ丘と丹露磐」案内に、この図が添えられる。
a0087378_5454993.png 「永慕編(熊阪台州)」の二十境の「丹露盤」の漢詩に添えられた谷文晁氏の挿図だが、そうであることは説明はされない。
 誰でもが、当然知っていることとされているようだ。
 
 谷文晁氏を「美術人名辞典」で確認する。
 江戸後期の文人画家で、元・明・清画や狩野派・土佐派・文人画等の諸画法を折衷した新画風を創造し、江戸文人画壇の重鎮となった方との紹介。
 他に、卓越した画技とともに学問もあり、松平定信や田安家の後援を得て、当時の江戸画壇に勢威を誇ったという解説もみる。

 その江戸文人画壇の重鎮である谷文晁氏が「高子二十境」のそれぞれの漢詩に挿図を添えているということだ。

 実は、高子山の「高子二十境」の漢詩まで確認したのは、この谷文晁氏の挿図を鑑賞する素養の一つとして働かないかなという思いがあったからだ。

 確認していくと、谷文晁氏は高子村を訪ねることなく、この二十境図を完成しているということのようなのだ。
 氏の実際の風景を想像した資料としては、「永慕編(熊阪台州)」の先の版に地元の画家である周俊・淑翰が描いた二十境図と考えられているようだ。
 その周俊・淑翰が描いた絵から日常感を削ぎ落して加筆修正されるわけだが、その念頭操作の資料となるのは盛唐詩の影響を受けた熊阪三代唱和の漢詩だろうと想像するのだ。
 その絵は、漢詩の仙郷の印象を強めた表現になっているのではないのかなとの想像だ。
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by shingen1948 | 2018-05-14 10:44 | Comments(0)