地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

熊阪台州氏(その2)41~高子山の「高子二十境」②

 高子山山頂の「丹露盤」について最初にふれたのは、「高子ケ岡の『亀岡八幡宮』」の散策の時だ。
 https://kazenoshin.exblog.jp/6331746/
 また、「福島の鉱山35~信夫地方の鉱山⑧~高子付近の鉱山と高子二十境」でも、ふれている。
https://kazenoshin.exblog.jp/23048300/

 「丹露盤」は、風景としては、散歩人の現在持ち合わせている知識でも識別できるものだ。それでも、漢詩を確認してみようという気になれず、敬遠していたところだ。
 今回は、「谷文晁、高子二十境図を描く(磯崎康彦)」をガイダンスとして、この「丹露盤」にかかわる漢詩ぐらいはお勉強してみようと試みた。

 まずは、熊阪覇陵氏の五言絶句。

  丹露盤 熊阪覇陵
 丹巌高突兀   丹巌(たんがん)高くして突兀(頭とうこつ)たり
 沆瀣滴雲寒   沆瀣(こうがい)雲に滴(したたり)て寒し
 借門孤標勢   借門す孤標の勢(いきおい)
 何如承露盤   承露盤(しょうろばん)に何如(いかん)

 熊阪覇陵氏は、この自らの漢詩に息子の台州氏に互吟唱和するように命じたのだそうだ。

 この段階でお手上げ状態なのに、この漢詩を味わうのには、詩を読みながら次々と中国の古典や故事を連想し、了解し同化する程度の中国学芸への広い教養が必要だというのだ。すぐに『洞冥記』『文選』『楚辞(そじ)』への同化が要求されているとのことだ。

  同前 台州
 亭亭丹露盤    亭亭たり丹露盤
 紫巌高百丈    紫巌(しがん)高きこと百丈
 上有雲表露    上に雲表の露あり
 不譲金狄掌    金狄(きんてき)の掌に譲らず

 一孤標は、ただちに承露盤であり、仙人掌であり金狄掌(きんてきしょう)であり、甘露であり沆瀣(こうがい)であるという、屈原、王子喬(おうしきょう)、宋王、李白への連想でなければならないのだそうだ。

 それは、理想だろうが、散歩人としては、せいぜいその意が解説から読み取れれはよいと思っている。
 解説に曰く、覇陵氏の詩中の沆瀣(こうがい)は仙人の飲み物であるつゆで、承露盤(しょうろばん)は漢の武帝が建章宮に設けた銅盤なそうだ。
 また、台州氏の詩中の金狄掌(きんてきしょう)は銅人像で、掌で不老の薬であるつゆを受けるとするのだそうだ。

 これに、覇陵氏は 「丹(あか)い岩がそびえ、夜露が雲中をしたたり冷たくぬらす。承露盤(しょうろばん)と比べてどうであろうか」と問うているのだそうだ。
 その問いに台州氏は、「高くそびえる丹露盤は百丈もの高さがある。雲上の露を受けるのも金狄(きんてき)の掌に負けることはない」と答えているのだそうだ。

 更に、盤谷氏が覇陵氏と台州氏両人の絶句に応答する詩が加わる。
 
  同前 盤谷
 一入青山路   ひとたび青山の路に入れば
 幽径接●(山+賛)〇(山+元)  幽径●〇(さんがん)に接す
 毎発紫霞興   紫霞(しか)の興を発する毎に
 幾過丹露盤   幾(いくたびか)丹露盤に過る

 「青山に入ると、高い巌山へと続く。紫の霞があらわれると、仙境に行きたく丹露盤を何度も登る」と結んでいるとのことだ。
 なお、この盤谷氏の詩は、台州氏が「永慕編」にまとめて盤谷氏に校正させた時に、盤谷氏が祖父覇陵氏と父台州氏両人の絶句に自発的に応答したものだそうだ。
[PR]
by shingen1948 | 2018-05-01 10:47 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)