地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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森鴎外氏が認識する熊阪系譜②:熊阪台州氏(その2)37~「處士台州熊阪翁墓碑」④

 「伊沢蘭軒(森鴎外)」はノンフィクションの史伝で、作中のわたしは森鴎外氏と捉えてもよいのだろうと思う。
 ただ、作中で捉える熊阪系譜は、熊阪盤谷氏と伊沢蘭軒氏や菊池五山氏との交流という範疇で捉えられる系譜であって、作者である森鴎外氏の捉える熊阪系譜の一部でしかないのではないのかなと思う。

 というのは、ここでは盤谷氏を通して台州氏や覇陵氏を語るが、鴎外氏自身は熊阪台州氏の作品にも造詣が深いことは先に確認している。
 その一つは、森鴎外の日記「北游日乗」に、「西遊紀行」がさらりと参考文献として挙げられていたこと。
 もう一つは、鴎外氏は「西遊紀行」発行に尽力した松崎観海氏の「観海雑記」の写本を所蔵していたということ。

 これらの状況から、台州氏の作品にも造詣の深い鴎外氏は、作品を通して今回整理した程度の熊阪系譜はご存知のはずなのだ。
 そして、その作品を通して見える熊阪系譜というのは、実父である児島(熊坂)定悠氏から覇陵氏→台州氏→盤谷氏と続く系譜だったのではないのかなとも思うのだ。
 つまり、「伊沢蘭軒(森鴎外)」で「磐谷の祖先は武士であっただろう」とした鴎外氏がイメージする系譜は、熊阪氏の系譜ではなくて、児島氏の系譜のことではないのかなと思うが、どうだろうか。
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by shingen1948 | 2018-04-03 09:52 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)