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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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熊阪台州氏(その2)33~台州氏代の「熊坂家蛍域」⑤

 菅野宏氏は「白雲館墓碣銘」の前書きで、「観海撰文南畝書の覇陵の碣銘は有名だが、小さい碣銘も心に残るもので、読み継げば、著作には見えない、白雲館の年代記が鮮明に浮かび上がってくる」と記す。
 しかし、自分にはその有名だとされるする覇陵の碣銘も識別できない状態だった。それが、台州氏代の「熊坂家蛍域」を確かめるという作業を通して、ようやく確認できたということだ。

 これで、案内板にある熊阪覇陵氏、台州氏、盤谷氏の熊阪三代墓碑を確認する前提が整ったということでもある。「覇陵熊阪君墓碑」は、先に確認したので、台州氏、盤谷氏の墓碑を確認する。

 これは、「熊坂家蛍域」の入り口を写したものだ。
a0087378_17351181.jpg この時は知らなかったのだが、今はこの奥に見える二つの墓碑が、その墓碣銘にあたる事が分かる。

 左側が「定邦台州碣銘」で、右側が「定秀盤谷碣銘」のようだ。
 この墓碣銘の左側に、今まで整理していた台州氏代の「熊坂家蛍域」原風景の三基の墓碑群があり、その左側に今回は「覇陵熊阪君墓碑」とした「定昭覇陵碣銘」が建っているという位置関係だ。

 その「定昭覇陵碣銘」の更に左側には、その熊阪三代の奥方の墓碑が建つ。「定昭覇陵碣銘」の直ぐ左側に建つのは台州氏の奥方の碣銘だ。「寺島氏葛碣銘」がそれのようだ。その更に左側に「富田氏民碣銘」が建つ。これが、盤谷氏の奥方の碣銘のようだ。
 この辺りまでが、熊阪三代にかかわる墓碣銘群のようだ。ただ、盤谷氏の子である「定懿達夫」氏は、早世するようなので、この墓碑も含めて盤谷氏代の墓碑群ということになるのかもしれない。
by shingen1948 | 2018-03-26 17:44 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)