地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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熊阪台州氏(その2)32~台州氏代の「熊坂家蛍域」④

 台州氏代の「熊坂家蛍域」原風景にかかわる墓碑群を確認してきた。
 その確認を通して、覇陵氏達が高子に住する際の「熊坂家蛍域」原風景のイメージも見えて来た。
a0087378_10581981.jpg この3基の墓碑群の「阿閣院翽鳳起居士之墓」の墓碑が、それだろうと思う。
 実際には、この墓碑自体は寛政四年に台州氏が撰文し、盤谷氏の書になる整備が行われたものなので、あくまでもイメージとしてということではある。

 この墓碑の表題は「阿閣院翽鳳起居士之墓」だが、その経歴に「居士姓熊阪氏、諱助英、稱太七郎、太左衛門助利之弟也、以延賓八年庚申生、以元緑十年丁丑四月四日卒、隼僅十八」と刻まれている。この経歴からは、これが「太七郎助英碣銘」であることが分かる。
 「高子熊阪氏系譜」と「秦氏」との関係を示した図との関りでは、「太七郎(助英)」として示した方だ。

 次に刻まれるのは、享保20年に助利氏が高子村に田や宅地を購入し、助利氏の姉之子秦豐重に託した際に、この亡弟助英氏の墓碑を長谷寺から改葬し、これを嗣ようにされたというようなことだ。
 このことから、覇陵氏達が高子に住する際の「熊坂家蛍域」原風景のイメージと重なることが確認できるということだ。

 更に刻まれるのは、中村熊阪氏の家譜の熊阪氏系譜ということで、伊達熊阪氏系譜と思われる熊阪四郎諱長範からの系譜が記される。
by shingen1948 | 2018-03-25 11:01 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)