熊阪台州氏(その2)27~「曳尾堂」⑪
2018年 03月 14日
「曳尾堂図書印」と「羽角蔵書印」の蔵書印、それと「羽角利兵衛蔵本」の記入とのことだった。これは「山形県立博物館ニュース<10>」の解説から読み取ったものだが、そこには「半澤文庫」の蔵書印はなさそうだった。
パターン的には、早稲田大学図書館・土岐文庫所蔵「和泉式部」の蔵書印の例に近いのかなと勝手に思っている。
こちらは、「曳尾堂図書印」と「昭和六十年二月一日土岐善麿氏寄贈」印、それに早稲田大学附属図書館蔵書印」が押印されている。そのデータの備考欄には「典拠に岐善麿氏旧蔵とあり」と記される。また、「曳尾堂図書印」にかかわる蔵書印主は空欄になっている。
専門的には、この「曳尾堂図書印」をもって旧蔵書主を半沢久次郎氏とも熊阪氏とも言わないことになっているらしいことが分かる。
さて、先に「熊阪台州氏(その2)21~『曵尾堂』⑤」で、熊阪氏から半沢氏に継がれた書庫「曵尾堂」文庫が消滅する時代の半沢邸宅についてふれた。
戦後(S22〜25)行われた農地改革によって、半沢家は不在地主として全所有地を国に強制買収されてしまう。半沢家は東京移住せざるをえなくなるのだが、この整理の時には、その邸宅を買い上げたのが山形県とした。
しかし、正式には、地方職員共済組合が厚生事業の一環として買い上げて安い宿泊所を設けて県庁職員の出張便宜を図ろうとしたものとの情報があった。
「出羽コミセンだより(平成26/6月号)」の「出羽不思議発見71」によれば、斡旋をしたのは山形県だが、実際に買収したのは共済組合で、500万円を投じているということだ。県に委任されたのはその管理面だけとのことだ。
これが、先の整理でふれた昭和30年代後半まで運営されていたという県庁来庁者の宿泊施設「出羽寮」ということのようだ。
宿泊は一泊330円で、30名の宿泊設備と50名程度の大会議室設備を有していたとのことだ。
この時点で、書庫「曵尾堂」文庫の書籍がどうなっていたかの情報はない。また、この時の山形県の斡旋の意図は、明治天皇の行在所(あんざいしょ)保存であって、書庫「曵尾堂」文庫を考慮した様子はなさそうであることは分かる。