地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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熊阪台州氏(その2)26~「曳尾堂」⑩

 「熊阪台州氏(その2)24~『曳尾堂』⑧」では、「曳尾堂図書印」とともに「半澤文庫」の蔵書印が押印された書籍についての確認をした。

 「曳尾堂図書印」が押印される書籍には、「半澤文庫」の蔵書印がない書籍もあるようだ。
 「熊阪台州氏(その2)22~『曳尾堂』⑥」でふれた「四家妙絶」という書籍の蔵書印もこれにあたる。
 「山形県立博物館ニュース(第10号)」によると、この書籍には「曳尾堂図書印」と「羽角蔵書印」の蔵書印、それと「羽角利兵衛蔵本」の記入とのことだった。ここではその印影は言葉で解説されるのだが、「半澤文庫」の蔵書印はなさそうに読み取れる。

 とりあえず、「山形県立博物館」の収蔵資料が検索できるページで確認すると、この「四家妙絶」の書籍にかかわる資料として、編著者が本沢竹雲のものと金子与三郎のものの2冊の書籍とその版木の存在が確認できる。
 そのうち、広報祇に紹介される「四家妙絶」は、掲げられる写真と次のような紹介文から、編著者が本沢竹雲の方だろうと推測できた。ただ、ここでもその印影と「羽角利兵衛蔵本」の記入文字までの確認はできなかった。

 「四家妙絶」は凡例一丁、本文二十了。(菅) 茶山、(頼)山陽、(広瀬)淡窓、(梁川)星巌の4人の名文家のすぐれた絶句をまとめ、 それぞれ五丁ずつ配しであります。 書名もここから出たものです。「序」記は本沢竹雲が書いていますが、この人が編さんしたものと考えられます。同じ時代に現在の天童市貫津 (ぬくづ)に家塾格知学舎を開いて地域のリーダ ーを育てた人ですが、一時期明新館の講師もしており、この関係から明新館の出版事業に参加した のでしょう。

 先にも記したように、「山形県立博物館ニュース(第10号)」では、こちらも漆山村の半沢久次郎氏が所蔵したものとみているようだ。
 しかし、福島地域を中心に散策している散歩人としては、「半澤文庫」の蔵書印のないものは、他の方を経由した書籍ではないのかなと勝手に思っている。
 つまり、この書籍は、熊阪台州氏が創設し盤谷氏等に引き継がれその門下生によって暫く管理されていた「曳尾堂文庫」から、「羽角蔵書」となった書籍とのとらえだ。その蔵書を引き継いだ羽角利兵衛氏から次の蔵書者に引き継がれる時に記載されたのが、「羽角利兵衛蔵本」の記入文字というイメージだ。

 これを前提にすると、熊阪氏の新たな交流もイメージすることになる。
 というのは、この書籍は、限定的な時期と地域の出版物らしいからだ。

 まずは、この書籍は上山藩校の「明新館」で使用される教科書のようなのだ。しかも、この教科書は「明新館」が自力でこの書籍を出版しているという地域的な限定があるようだ。
 次に、この出版時期だが、これも限定的らしいのだ。この「明新館」が自力で書籍を出版するのは、本沢竹雲氏と金子与三郎氏がかかわった時期だけのようなのだ。
 つまりは、その時期に熊阪氏とこの藩校の講師人のどなたかと交遊があったという推測に繋がるからだ。

 もし、この想像が可能ならば、「熊阪台州氏(その2)23~『曳尾堂』⑦」で想像した「曳尾堂」の閲覧を目的に半沢邸を訪れる方に、この上山藩校「明新館」関係者も付加されることにもなる。
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by shingen1948 | 2018-03-09 11:15 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)