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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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熊阪台州氏(その2)22~「曵尾堂」⑥

 書庫「曵尾堂」文庫にかかわる情報は山形市出羽地区の地元情報としては拾えなかったが、「山形県立図書館」や「山形県立博物館」の広報などの情報を目にすることができた。
 ただ、いくつか残念に思うことがあった。

 「山形県立博物館ニュース(台10号)」の資料紹介コーナーに、「四家妙絶」という図書紹介にかかわって、書庫「曵尾堂」文庫について次のようにふれられている。

 「山形大学の石島教授によれば、『曳尾堂』は、明治7年頃山形の漆山の大地主で、 仙台方面から多くの図書を購入し、それを一般に閲覧させていたということです。山形県の図書 館の初めともいうべきもので、風呂や食事まで無料で提供していたという奇特な存在です。   
 その存在は研究者の聞では知られていたのですが、このような蔵書印は今までみつかっていないということです。 山寺の芭蕉の句碑を建てた半沢二丘(久次郎)がこの家の主人というととです。 もう一つ『羽角蔵書』印と『羽角利兵衛蔵本』の記入がありますが、この人については何もわかっていません」

 ここから残念に思う事を確認整理する。
 その一つは、「このような蔵書印は今までみつかっていない」とあることだ。
 戦後、半沢氏に継がれた書庫「曵尾堂」文庫から散逸した書籍は山形県にとどまっていないらしいことが分かる。
 その二は、「明治7年頃、仙台方面から多くの図書を購入した」という紹介だ。熊阪氏の白雲館書庫「曵尾堂」文庫から引き継がれているという観点は存在しない。
 その三は、「曵尾堂」蔵書印は、全て半沢氏が押印したものとする前提での情報が流されているということだ。その二とかかわることだと思う。
 その四は、これ等に伴ってのことになるのだろうが、半沢氏は「閲覧に訪れた一般人に風呂や食事まで無料で提供していたという奇特な存在」になってしまっているということだ。
 恐らく、「熊阪台州氏(その2)⑰~『曵尾堂』」でふれた【東京日日新聞〈明治9年(1876)/11/7】に報じられた山形市漆山「曳尾堂文庫」の情報と重なるものなのだろう。それなら、もっと奇特な存在だ。遠方の人には夜も泊まらせ、望みの通りに読書をさせている。
 「奇特な存在」のイメージが強調され過ぎてしまうのは、「閲覧に訪れた一般人」のイメージが違っているからのような気がするのだ。
by shingen1948 | 2018-03-01 09:02 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)