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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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熊阪台州氏(その2)⑳~「曵尾堂」④

 書庫「曵尾堂」文庫を熊阪氏より継いだと思われる山形市出羽地区の豪農半沢久次郎氏情報を拾う。

 漆山村は、明治22年(1889)に、千手堂村や七浦村と合併して出羽村になるのだが、半沢久次郎氏は、その初代村長になるようだ。
 明治 35 年には、広大な私有地を国鉄に無償で提供して漆山駅を設置したりしているようだ。
 同時期の漆山代官所(旧秋元藩陣屋)を利用した「郡立染織学校」の設立も半沢氏の仕事のようだ。これが、この地域が地下水に恵まれているという立地条件もあって、江戸時代から発達した養蚕業を背景として織物工業の発展に大きく寄与しているとのことだ。
 他に、地域の防災治安関係などにも個人的な資本を投下されているとのことだ。

 文化人だったという情報もある。
 明治以前は、俳諧師半沢二丘として活躍し、山寺(立石寺)の「せみ塚」を建立した一人でもあるとの情報がある。
 「山形県芭蕉句碑総覧」で確認する。

 <山形市大字山寺天台宗宝珠山立石寺根本中堂脇>
  
 閑さや巖にしみ入る蝉の聲  芭蕉翁
  陰 左羽に夕日うけつゝほとゝきす 一具
  左 樂書や笹の葉にある清水哉   二丘
  右 花さかぬ草木から風薫りけり  川丈
  嘉永6年(1853)4月
  当山学頭遍明院代遠藤金兵衛 漆山の半沢久次郎二丘の建立
  高梨一具筆
 
 「総覧」では、次の句碑も紹介される。ここは半沢邸の自宅だったと思われる場所だ。自宅に建立されたものと解釈できる。
 
 <山形市漆山 元出羽寮東北缶詰株式会社庭園>

 摩遊はきを をもかけにして紅の花  芭蕉
 文政13年(1830)10月 半沢久次郎二丘建立 牧野豊前守源以成筆
 
 豪農半沢邸にかかわる中心的な情報は、明治14年の明治天皇が北海道ご巡幸の際、ここで小休止なされたということだ。 
 9月29日、楯岡を出発した明治天皇は、三島県令の準備した羽州街道の直線道路を天童の東村山郡役所で小休止し、県都山形に入る前にここで小休止したとのことだ。
 明治帝を迎えるために玉座をつくり、20世紀末まで当地に文化遺産として保存されていたのだそうだが、現在は蔵王温泉行の「里のわらべ館」に展示されているとのことだ。
 
by shingen1948 | 2018-02-26 17:50 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)