地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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熊阪台州氏(その2)⑱~「曵尾堂」②

 白雲館の書庫「曵尾堂」文庫は、「覇陵の嗣台州の造営と命名」とのことだ。
 その命名の由来は、士官を求められた荘子が、死んで卜占(ぼくせん)用に奥深く蔵されるより、泥のなかをはい回る亀でありたいといった「荘子(秋水篇)」の故事にある【「白雲館墓碣銘(菅野宏)」】とのことだ。
 「その昔 福島大学の近くにあった図書館(渡邉武房)」によると、書庫「曵尾堂」の上面には大槻磐渓 の書になる扁額があったとのことだ。

 ここでは、この文庫を「熊坂台州(1739-1803)とその子盤谷(1767-1830)などが代々収蔵した蔵書で、白雲館文学活動の母胎 となった文庫」としている。
 その蔵書は、前回記したように、明治29年10月調査、その大正初年の写しの目録が残された(保原町史第五巻)とのことだ。
 その蔵書には、「曳尾堂圖書印」という蔵書印が押されていたようだ。その陰影は、「国文学研究資料館」の「電子資料館」の「蔵書印データベース」で確認できるようだ。

 その蔵書の内容だが、明清刊本には精良なものが多かったようで、昭和4年(1929)に先に記した山形の「曵尾堂」を調査した小川琢治博士の言を借りて、「經史集に渉っているので、學者の研鑚に利用される便宜は公立図書館より多い」いと紹介される。
 その利用規定だが、台州氏は「曳尾堂の壁に題す」と「曳尾堂蔵書目録の序」で、散逸の原因になる借覧を禁じ、館内での閲読を勧めているとのことだ。

 なお、古書に押された蔵書印は旧蔵者の経緯をたどる手掛かりにもなるものだ。
 「曳尾堂文庫」蔵書は、半沢家の零落で 昭和25年(1950)に散り散りになるわけだが、ネットを検索していたら、「曳尾堂圖書印」の蔵書印にかかわる次の話がヒットした。

 「阪巻・宝玲文庫の蔵書印(琉球大学附属図書館)」の中で、「琉球奇譚」に押された「半澤文庫」「曳尾堂 (えいびどう) 図書印」という旧蔵者の蔵書印につて考察している次のような箇所があるのを見つけたのだ。

 「半澤文庫」は、明治時代に山形の村山地方漆山の大地主であった半沢久次郎の印である。半沢は1万点を超える蔵書の持ち主として有名であったが、蔵書は戦後に農地解放で散逸している。
 「曳尾堂図書印」の蔵書印は、本来は江戸時代後期の豪農・儒学者熊阪台州(1739-1803)の曳尾堂文庫の印である。曳尾堂文庫は、幕末から明治ごろにかけて半沢へ所有が移った。  
 したがって「曳尾堂図書印」は熊阪が押印したように見えるが、高橋章則によれば「半沢氏が熊阪氏の蔵書印「曳尾堂図書印」を襲用し捺印していた」。また、『琉球奇譚』は熊阪の死後の 1832 年に刊行されているため、熊坂が購入したものではない。
 つまり、印鑑を引き継いだ半沢が押印したものである可能性が高い。

 ここで興味深いのは、白雲館の書庫「曵尾堂」文庫の所有が、山形漆山の半沢久次郎氏に移った時に、その蔵書印も熊阪氏から半沢氏に託されたということだ。
by shingen1948 | 2018-02-18 10:09 | ◎ 水 | Comments(0)