人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

熊阪台州氏(その2)⑰~「曵尾堂」

 私塾であり文人サロンでもある「白雲館」に、「曵尾堂」なる蔵書庫があったことは自然過ぎてさらりと受け流されてしまいそうだが、この「曵尾堂文庫」の存在を特記しておきたい。

 図書館の視点で名を知られている「曵尾堂」は、山形県のそれのようだが、この白雲館の「曵尾堂」の蔵書を元にした図書館のようだ。

 まずは、山形のその「曵尾堂文庫」を確認する。
 「近代図書館政策と山形県(前田美咲)」によると、山形県の図書館史において中心的な存在は、山形県立図書館だそうだが、その図書館が開館するのは明治43年(1910)とのことだ。
 それ以前に、東京の新聞に掲載されるような文庫や縦覧所があったとして紹介されるのが、山形市漆山「曳尾堂文庫」と鶴岡市荒町の「新聞縦覧所」だ。

 山形市漆山「曳尾堂文庫」は、【東京日日新聞〈明治9年(1876)/11/7】に報じられているとのことだが、その記事は次のような内容だったとのことだ。

〇 「山形県の榛沢(はんざわ)久次郎氏が、一個人の力で図書館を経営し、無代でしかも食料宿泊つき」
〇 「供覧を乞ふ者あれば、書斎を貸して、これを読ましめ、幾日にても無代金にて食糧をまかなひ、遠方の人には夜も泊まらせ、望みの通りに読書をさせる」

 なお、「山形百年」では、「榛沢久次郎」は、漆山の豪農として有名な半沢久次郎氏の誤記だとしているとのことだ。
 当時、図書館はめずらしいもので、東京に書籍閲覧所、西京に集書院ができたことを報じる中に、半沢久次郎氏の「曳尾堂文庫」が紹介されているということのようだ。
 ただ、この「曳尾堂文庫」は、半沢家の零落で 昭和25年(1950)に散らばってしまったとのことだ。

 次に、「白雲館墓碣銘(菅野宏)」の「曵尾堂」についての紹介を確認する。

 「蔵書万巻と称された「曵尾堂」は、覇陵の嗣台州の造営と命名で、万巻というも誇張ではない。文庫は、明治初年山形市外漆山の半沢家に移されて、敗戦後まで維持されたが、再び不幸にも1950年また散佚した。
不幸中の幸いというか、明治29年10月調査。その大正初年の写しの目録が残された(保原町史第五巻)」

 当時、東京の図書館事情に引けを取らないとされる山形市漆山「曳尾堂文庫」は、この白雲館「曵尾堂文庫」が土台となっていたことが分かる。
 その蔵書庫が、「白雲館」の門人たちに開放されていたということだ。
by shingen1948 | 2018-02-16 10:40 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)