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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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熊阪台州氏(その2)⑮~白雲館・明月楼・海左園

 大田南畝氏との交遊で熊坂台州氏は、「熊阪子彦・白雲館・明月楼・海左園」と紹介される。「白雲館・明月楼・海左園」が、「熊阪子彦」とともに、熊坂台州氏を表す呼称あるいは文人サロンの呼称とされるようにみえる。
a0087378_11105811.jpg 新しくなった「熊坂家蛍域」前に建つ案内板では、「白雲館の屋敷」を掲げ、その解説の前半に、この「白雲館」について、これが私塾であったとして解説し、ここで江戸や全国の文人階級と盛んな交流があったと紹介される。
 ここで案内されるように、居宅を「白雲館」と号したのは覇陵氏のようだ。
 「熊阪台州氏(その2)⑨~「覇陵熊阪君墓碑」⑨」で確認した次の釈文と「白雲館墓碣銘(菅野宏)」の「白雲館の活動」に記される命名の意図の想像を重ね合わせる。

 まずは、碑文の釈文。

晩(晩年)に自ら丘壑(きゅうがく)に放(ほしいまま)にす(美しい自然のなかで悠々自適の生をおくった)。園を爲(つく)りて、牡丹を種え、洛種(京都の品種)數十品を郵致す(飛脚で送らせる)。其の居(きょ=居宅)に顔(がん=屋号をつける)して、白雲舘と曰い、樓(高殿)を明月樓と曰う。 析子彦(台州)を携(たずさ)えて、日に其中に嘯歌(しょうか=うそぶき歌う)。二十景の詩有り(王維の二十境にならって二十景をえらび詩をつくり)、子彦に命じて之を和せしむ(唱和の詩をつくらせた)。父子の間、自ら知己爲(ちきた)り(おたがいよく理解しあえる間柄であることを喜びとした)。

 次に、「白雲館墓碣銘(菅野宏)」の「白雲館の活動」に記される命名の意図の想像。
 
 「白雲館」との号は、「彼の白雲に乗じて帝郷に至る(荘子)」「秋風起り白雲飛ぶ(漢武帝<秋風辞>)」「青松路を夾(はさ)んで生じ白雲簷端(えんたん)に宿る(陶淵明<懐古九首其五>)」「但(た)だ去れ復(また)問うことなけん。白雲は尽くる時なからん(王維<送別>)」なと中国の詩にみえるおびただしい白雲のイメージに深くかかわるとのことだ。
 楼を「明日楼」としたのも、あふれるばかりの明月の文辞のなかの「深林人知らず明月来つて相照らす(王維<竹里館>)」の一句に最も深くかよいあうであろうとする。

 覇陵の思いから命名された「白雲館」が、案内板では私塾名として、全国的には文人サロン名としてイメージされているようだが、「白雲館の活動」では次のように表現されていて、分かりやすい。

 「静かな小盆地にあがる月は四季折々まことに美しいが、その明日楼のある白雲館は、東奥の地には稀有の文化活動の場となり、門下生の詩文の庭となり、社中同人結社の名ともなる」
by shingen1948 | 2018-02-11 11:13 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)