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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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熊阪台州氏(その2)⑫~大田南畝氏との交遊②

 大田南畝氏が熊坂台州氏と交遊関係があることを示す詩歌には、他に「山君忠・岡公修・関叔成・季成・熊阪子彦・山道甫」の方々が登場している。「浮世絵文献資料館」では、それをくくって「熊阪台州・松崎観海・士訓・道甫・君忠・公修・叔成・季成」を「詩友」と表現している。
 「熊阪子彦」が熊坂台州氏であることは分かるが、その他の方々呼称関係が分からない。それで、「文人サロン交友」の項で確認すると、次のようだった。

 「士訓」とされる方は、「山内 穆亭(やまうちぼくてい)」(山士訓)(さんしくん)とされる。
 「道甫」とされる方は、「山道甫(さんどうほ)」(朱楽菅江)(あけらかんこう)とされる。
 「君忠」とされる方は、「山田 松斎(やまだしょうさい)」(山君忠)(さんくんちゅう)とされる。
 「公修」とされる方は、「岡部 四溟(おかべしめい)」(岡公修・素観師・喘月庵)(こうこうしゅう・そかん・ぜんげつあん)とされる。
 「叔成」とされる方は、「菊池 衡岳(きくちこうがく)(関叔成・思玄亭)(かんしゅくせい・しげんてい)とされる。
 「季成」とされる方は、「樋口 元良」(ひぐち げんりょう)(樋季成)(ひきせい)とされる。

 ここまでの整理で、「白雲館墓碣銘(菅野宏)【白雲会研究会1989/4】」に、安政4年乙未(1775)、台州氏37歳、盤谷氏9歳の春、代州氏が江戸にのぼり、はじめて観海先生に謁し、2か月間滞在した時に、多くの文人たちの歓迎を受け親交を結んだことが記されるが、この情報と重なることが分かる。
by shingen1948 | 2018-02-08 10:43 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)