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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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浅川、松川散策の写真メモから34~八丁目宿と喜熨(きのし) 三太郎秀房一座

a0087378_9193652.jpg これは、福島医大側から看護寮の方向を撮った写真だ。
 この写真を撮った時点で興味があったのは、右手に写る溜池だった。浅川村の中心的な集落の一つが、中沢渠の開発とかかわるようなのだが、この溜池は、その地域への潅水とかかわっているようなのだ。

 今、この写真を見直しているのは、その溜池の右手の丘への興味だ。
 先の八丁目宿散策で、その八丁目文化情報にこの丘とかかわるのではないのかなと思われる情報を得たからだ。
 「松川のあゆみ」の八丁目文化で、芸能活動にかかわる地芝居について次のような紹介がある。

 芸能活動としての地芝居興行には、原則的には領主代官の許可を必要として厳しかったのだそうだが、実際には、幕末にはその禁制も緩んで急激に盛んになったとそうなのだ。
 八丁目宿の菅原神社や諏訪神社の祭礼には、この地芝居興行が大層人気があったのだとか。その中でも特に人気だったのが、「三太郎」喜熨(きのし)秀房一座で「三太郎芝居」と言われていたそうだ。その芸は、仙台公のおほめに預り、その藩士の息女を媒酌されたりする程だったのだそうだ。
その一座の足跡は一関にまで及んだという。その後、この一座は江戸にまで上ったのだそうだが、その子が初代市川猿之助になったというのだ。

 この金谷川地域の散歩資料を確認していたら、この溜池の土手の南側に「浅川芝居一座」の本拠地があったという情報があった。
 その情報を何となく確認していたら、「松川のあゆみ」がいう「三太郎」喜熨(きのし)秀房一座の情報と重なるような気がしたのだ。

 「その子が初代市川猿之助」という部分の確からしさは知らないが、どちらもそのかかわりを強調するという共通点がある。
 少なくとも、この溜池の土手の南側に八丁目宿で人気の「三太郎」喜熨(きのし)秀房一座の本拠地があったということではあったようなのだ。
by shingen1948 | 2018-01-05 09:24 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)