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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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浅川、松川散策の写真メモから32

 前回の「浅川、松川散策の写真メモから32」での旧街道に続く道筋については勘違いに基づいての整理だったので消去する。
 西の将軍地蔵堂の辺りの旧街道と旧国道の関係性と、「水晶沢の清水」に続く道筋との関係性を勘違いしていたのだ。この辺りの旧街道は、もっと山沿いを通っている。
浅川、松川散策の写真メモから32_a0087378_10111494.jpg これは2009年7月に諏訪神社辺りから本町方面に向けて撮った写真だ。右手が諏訪神社だ。旧街道は、写っている信号の角を左に進み、石合町に入る。

 「八丁目家主一欄」と見比べると、この旧国道の道筋になっている辺りに、常円寺という寺があったらしいことが分かる。
 その寺は、「信達二郡村誌」では次のように紹介される。

 「北部水晶沢に在り、境内東西33間、南北12間。段別1段2畝23歩官有地外に民有地3畝9歩有り。
 羽前国置賜郡米沢曹洞宗東源寺末派なり。慶長6年丑年奈良沢主殿助淳盛開基と云伝ふ」

 「松川村の小字」とも照らし合わせると、本町と石合町の間のこの辺りから小字水晶沢であることが分かる。勿論、先に整理の金明水の泉辺りも小字水晶沢のはずである。
 
 松川村の小字水晶沢と浅川村の界については、「北は水晶沢の畔搒を以って浅川村に界す」とある。
 この記述からは、小字名の元になった「水晶沢」という沢があって、その畔搒が浅川村との境界線というふうに読み取れる。
 このことから、水晶沢という沢は、浅川村との界近く東西に走ることが想像される。
 現在の地域名と照らし合わせると、恐らく現団地入口辺りの道筋と並行して西に向かって流れる沢だったのではないのかなと想像している。

 ※ ここでの写真を「2009年7月に諏訪神社辺りから本町方面に向けて撮った写真だ。右手が諏訪神社」としたところだが、実際は、右手が現「常円寺」の所のようだ。次の「浅川、松川散策の写真メモから33」で修正している。
  誤記を含む記事をそのまま残すのは、散策では、その過程で試行錯誤を繰り替えしているが、それも楽しみの一つである側面があるからだ。
by shingen1948 | 2017-12-31 10:16 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)