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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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浅川、松川散策の写真メモから⑳

 維新塾にこだわってしまったが、その確認のためにこの丁字路角についての多くの情報も得た。
 その中の郵便局情報から、この残された建物は中田屋跡ではないのかなと想像する。
浅川、松川散策の写真メモから⑳_a0087378_10215464.jpg 明治5年に新しい郵便制度がしかれるが、当時は、国から委嘱された方が郵便局を造り、郵便御用取扱役として勤めたとのことだ。
 松川でも、その年の7月1日に取扱所が開かれるが、その初代局長は菅野金作氏とのことだ。
 その位置は、中町の巡査駐在所の東隣の菅野金作氏宅で、近所では郵便中田屋と呼んでいたとある。

 その駐在所情報を確認すると、明治44年に警察制度がしかれた当初は駐在所は横町に置かれたが、自治制度実施の頃からは、中町の今の常念寺前に新築し、松川駐在所と称したとある。

 八丁目家主一欄で、この辺りの様子を確かめると、常念寺の隣に「中田屋金作」が描かれている。

 これらの情報を重ね合わせると、ここに写る建物が「郵便中田屋」跡であり、八丁目家主一欄にある「中田屋金作」跡であり、菅野金作氏宅ではないのかなと想像する。
 この建物の西手に松川駐在所があったとすれば、「常念寺前に松川駐在所新築」という情報とも「中町の巡査駐在所の東隣の菅野金作氏宅」との情報とも矛盾はしないと思うが、どうだろうか。
Commented by 通りすがりの者 at 2017-12-05 19:49 x
私の子供の頃は、現在の光陽軒の右隣2軒目ぐらいのところに郵便局がありました。
Commented by shingen1948 at 2017-12-06 08:23
情報ありがとうございます。
昭和45年までは、局舎は局長の私有だったようで、局長の変遷と都合によって場所が変わったようですね。
次の局長は明治22年に天明根の名主遠藤佐平さんだったようですが、翌明治23年からは代々本町の杉内氏がかかわるようです。当方の情報では、その昭和45年の局舎が「本町40」とされています。確認してみます。
Commented by shingen1948 at 2017-12-06 08:50
光陽軒の右隣の時代は、杉内氏局長時代の中期、明治35年から昭和12年辺りの局舎「本町34」、次の「本町3」辺りのようですね。昭和45年の「本町40」は現病院の地点で違いますね。
Commented by 通りすがりの者 at 2017-12-06 18:01 x
こんにちは。
shingen1948様の探求心とバイタリティには関心しております。
松川郵便局は以前、現在の歯科医院の所にあり(昭和50年頃)、その前は光陽軒の隣の郵便ポストのある所だったはずですが、記憶違いかもしれません。
またその頃、駐在所は丁字路の所にあり、隣の白い建物は火事で焼失後に建て直したような気がします。
Commented by shingen1948 at 2017-12-08 17:04
新たな情報ありがとうございます。「本町3」の時代の郵便局の写真が「松川のあゆみ」に載っていました。これが、光陽軒近くの郵便局ですね。残っている時に散策したかったです。

初代の郵便局は焼失ですか。
今回の整理は、駐在所の位置が正しいとすれば、初代郵便局の位置情報ということになりますね。
by shingen1948 | 2017-12-02 10:24 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(5)