浅川、松川散策の写真メモから⑳
2017年 12月 02日
その中の郵便局情報から、この残された建物は中田屋跡ではないのかなと想像する。
明治5年に新しい郵便制度がしかれるが、当時は、国から委嘱された方が郵便局を造り、郵便御用取扱役として勤めたとのことだ。
松川でも、その年の7月1日に取扱所が開かれるが、その初代局長は菅野金作氏とのことだ。
その位置は、中町の巡査駐在所の東隣の菅野金作氏宅で、近所では郵便中田屋と呼んでいたとある。
その駐在所情報を確認すると、明治44年に警察制度がしかれた当初は駐在所は横町に置かれたが、自治制度実施の頃からは、中町の今の常念寺前に新築し、松川駐在所と称したとある。
八丁目家主一欄で、この辺りの様子を確かめると、常念寺の隣に「中田屋金作」が描かれている。
これらの情報を重ね合わせると、ここに写る建物が「郵便中田屋」跡であり、八丁目家主一欄にある「中田屋金作」跡であり、菅野金作氏宅ではないのかなと想像する。
この建物の西手に松川駐在所があったとすれば、「常念寺前に松川駐在所新築」という情報とも「中町の巡査駐在所の東隣の菅野金作氏宅」との情報とも矛盾はしないと思うが、どうだろうか。
昭和45年までは、局舎は局長の私有だったようで、局長の変遷と都合によって場所が変わったようですね。
次の局長は明治22年に天明根の名主遠藤佐平さんだったようですが、翌明治23年からは代々本町の杉内氏がかかわるようです。当方の情報では、その昭和45年の局舎が「本町40」とされています。確認してみます。
shingen1948様の探求心とバイタリティには関心しております。
松川郵便局は以前、現在の歯科医院の所にあり(昭和50年頃)、その前は光陽軒の隣の郵便ポストのある所だったはずですが、記憶違いかもしれません。
またその頃、駐在所は丁字路の所にあり、隣の白い建物は火事で焼失後に建て直したような気がします。
初代の郵便局は焼失ですか。
今回の整理は、駐在所の位置が正しいとすれば、初代郵便局の位置情報ということになりますね。