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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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浅川、松川散策の写真メモから⑰

a0087378_1052308.jpg 今回の整理を通して、ここ常念寺の見え方が変わった。
 二本松落城の頃、鼓岡村名主桜内氏が中心となって、元二本松藩士田嶋鷗僊氏を招いて自宅に「維新館」という私塾を創設したそうだが、その私塾は、その後ここ常念寺で展開されたということだ。
 前回整理したように、そこで学んでいる方々の中には、今まで整理してきた名主の方々や八丁目文化の担い手の方々の名が見える。
 また、多くの弟子をかかえた私塾の御師匠さんの名も見える。
 例えば、二本松藩の最上流宗統派四伝の算法印可を受けて系譜を引き継ぎ門弟1000人の金沢村丹治明斉氏や、その弟子最上流宗統派五伝の算法印可を受ける尾形貞蔵氏の名も見える。
 古浅川の神道無念流師範長南常蔵氏の名も見える。

 更に、ここに寺小屋情報を重ねてみると、ここで学ぶ名主の方々や八丁目文化の担い手の方々と
松川の寺小屋の師匠さんとも重なっている方もいらっしゃる。

 例えば、塾生の町裏の西光寺住職平林宥京氏。
 この方は、今回は眼鏡橋の書字を担当された方として整理しているが、「明治歌集」に選ばれるほどの歌人であったそうで、明治天皇御巡幸の折には、祝辞の詩歌を献上しているとのことだが、弟子20名の寺小屋の師匠でもあったようだ。
 四書五経を指導したが、書、和歌、俳句に秀でて多面にわたって指導していたという。

 今回は篆刻家として整理している天明根の菅野次郎右衛門氏も塾生のようで、上記平林宥京氏の弟子でもあるとの情報もある。この方も弟子10名の寺小屋の師匠でもあったという。書もよくし俳人でもあったとのこと。晩年は隠居して水車業を営みながら指導していたとのことだ。

 本陣桜内協氏も弟子18名の寺小屋師匠だったとのことだ。礼儀作法について特色ある指導が行われていたとのことだ。

 八丁目村菅原神社神官渡辺伊佐美氏は、松川鉱山散策中にその墓石らしきものを見つけた方だが、寺小屋情報の多宝院(神官)渡辺早人弟子20名と重なるように思う。また、ここで学ぶ八丁目村名主は野地長十郎氏に代わっているようだが、元の名主検断である渡辺権左衛門氏弟子8名は謡曲に巧みで年長者には素謡も教えていたようだ。

 最初に挙げた塾生の町裏の西光寺住職平林宥京氏のお弟子さんで寺小屋の師匠をしていらっしゃる方もいる。
 石合町の明宝院は石合町の大火で一切が焼失してしまったそうだが、その住職小泉宥範氏も寺小屋師匠だったという。
 埋崎の八巻幸吉氏も平林宥京氏のお弟子さんとのことだが、最上流珠算の権威者でもあったとのことだ。維新館塾生で名主の桜内協氏や杉内省三郎氏が門人でもあるというかかわりでもあるようだ。
 この方も、多数の弟子をかかえる寺小屋師匠でもあったということのようだ。
by shingen1948 | 2017-11-24 10:55 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)