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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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浅川、松川散策の写真メモから③

 「信達二郡村誌」の「岩代国信夫郡浅川村」里標の項では、「元標を中部沖之橋里道三又の側に建つ」とある。
 地名にこの沖之橋の呼称が見当たらない。
 それで、「福島の小字」で確かめると、小字「細田」と小字「木戸前」の間に位置している事が分かる。
 現在の地図と照らし合わせると、バイパスの向こう側に細町の地名が見え、木戸前の地名がバイパスの手前に見える。辺りの小字名とのかかわりも考慮すれば、この小字「沖之橋」は国道付近だったのではないかと想像できる。

 元標は、この小字「沖之橋」の三叉路の側に建っていたと読み取れる。
 この地点で浅川沿いの道筋から分岐して向かう道筋は若宮方面ではないのかなと想像する。地形的に想像できるのは、羽山岳の山麓を回り込むような道筋だろうか。
浅川、松川散策の写真メモから③_a0087378_9384191.jpg 名も知らぬ石橋供養塔が建つ橋からそちらの方向を眺めている。
 浅川沿いの道筋から羽山岳の山麓を回り込むような道筋への分岐点は、現在福島方面に向かう国道四号線バイパスへの入線道へ向かう付近なのではないのかなと勝手に想像している。

 「金谷川の主な伝説・伝承」に、この「沖之橋」とかかわりそうな話が載っている。

 「おきな橋・沖の橋(浅川)」
 むかし浅川村に「おきな」という娘がおりました。年頃になって、よその村に嫁ぎましたが、家の中のもめごとで不縁になって里に帰ってきました。
 里に帰りましても、母親にやいのやいのとせめたてられますので、また家を出て、浅川にかかっている橋のところまできました。やっぱり帰れぬと、また実家に引き返し門口まで来ました。このように、橋を行きつ戻りつして行き悩むこと限りなく、遂に、意を決して橋から身を投げたといいます。
それからこの橋を「おきな橋」と呼ぶようになりました。この話は昔という事で、何様の時代のことやら、とにかく今は「沖の橋」と呼んでおります。

 国道近くに浅川に架かる「沖の橋」と呼ばれる橋があったらしい事は分かるが、現況とのかかわりは確認できていない。
by shingen1948 | 2017-10-18 09:40 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)