示現(慈現)太郎神社と二荒神社②
2017年 10月 06日
昔甲賀権守諏胤が子に、甲賀太郎諏敏甲賀二郎諏任甲賀三郎諏方と云う三人の子があった。三郎は信州蓼科獄の人穴に入り数年の間怪しき国を巡り居る間に兄二人して三郎が所領を犯し奪ったが、二郎なほ悪逆あるに由つて太郎は之を避け、所領下野宇都宮へ下り、後に神となって示現太郎大明神と云ふ
この話を元に勝手な想像をすれば、浅川の示現(慈現)太郎神社が飛んだとするのは、この「示現太郎大明神」だろうか。ならば、数年の間怪しき国を巡り居る最後の地が浅川だったという事になる。
しかし、そんな単純な話ではなさそうだ。
宇都宮二荒神社の話には、ここに小野猿丸と柿本人麻呂にまつわる話が絡んでくるようだ。
小野猿丸が絡む話の出どころは、日光の二荒神社のようだ。
「栃木県における柿本人麻呂解釈の展開―宇都宮大明神と人丸神社(佐藤智敬)」では、詳しくは柳田国男が「神を助けた話」で詳しく紹介するとして、「神道集」の記述について紹介する。
「神道集」では、「オンサラマ」という人物が赤城と日光の戦いに関与し日光側に勝利させたという記述だが、これが後世に「小野猿麿(猿丸)」と記載されるようになったとのことだ。
「日光山縁起」での解説概要についてはウィキペディア「猿丸大夫」の「日光山にまつわる伝説」でその概要を確認する。
小野猿丸(=猿丸大夫)は、弓の名手で小野に住んでいたそうだ。
日光権現と赤城神が神域について争った時、鹿島明神の勧めで、この小野猿丸(=猿丸大夫)を呼び寄せ、その加勢によって勝利したという。
これによって、猿と鹿は下野国都賀郡日光での居住権を得、猿丸は下野国河内郡の宇都宮明神となったという。
日光二荒山神社の神職小野氏は、この「猿丸」を祖とすると伝わり、宇都宮明神は、かつて猿丸社とも呼ばれ、奥州に二荒信仰を浸透させたといわれているとのこと。
浅川の示現(慈現)太郎神社が飛んだとすることとかかわりで気になるのは「奥州に二荒信仰を浸透させた」とあることだが、この小野猿丸在住が陸奥国小野郷=田村郡小野町らしいとの情報も気になる。
「福島の歴史物語」には、「小野猿丸大夫」のこの気になることについて紹介されていた。
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