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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

「浅川黒沼神社」と示現(慈現)太郎神社

 「松川の今昔」以外に示現(慈現)太郎神社が紹介される地元の散歩資料を見かけない。
 ただ、「浅川黒沼神社」の紹介の中に、この示現(慈現)太郎神社にふれた箇所があるのを見た事がある。

 その「浅川黒沼神社」が鎮座するのは、上蓬莱橋から古浅川の前の通りが、4号国道バイパスをくぐって少し西に進んだ右手辺りだ。その道筋の北側を走るこの道の旧道らしい雰囲気の道筋があるのだが、その道筋に面して神社への階段がある。
a0087378_8584672.jpg この神社、「信達二郡村誌」では「中部木戸前羽山の腰に鎮座す」「石比売命・渟中倉太玉敷命を祭る」と紹介されている。

 この「浅川黒沼神社」は、信夫山の黒沼神社や金沢の黒沼神社と共に、「延喜式神名帳」にある「黒沼神社(陸奥国・信夫郡)」に比定される式内社だとする。
 黒沼神社にかかわる伝承の大筋は、欽明天皇の皇后である石姫命が、皇子である渟倉太命の後を追って陸奥国に下向するが、当地で崩御するという設定だが、ネットで紹介されているのは次のようだ。
(【神社と古事記「福島県の神社」】http://www.buccyake-kojiki.com/archives/1037860714.html)
 「欽明天皇の皇子・渟仲倉太珠敷命が東国の不穏を鎮めるため、当地へ行幸し、信夫湖に住む大熊を退治したが、疲労困憊し崩御したと噂が流れ、それを聞いた母・石姫は嘆きのあまり黒沼に身を投げた。

 供奉の健夜依米主従の四人は嘆いて黒沼赤沼を巡見。古浅川の自現明神のお告げにより、大岩を切り開き、黒沼赤沼の水を大熊川に抜き、干潟となして石姫を埋めたという。後、欽明天皇の奉聞および地名にちなんで黒沼大明神として祀ったという。」

 その情報の出どころは知らないが、今回の散策とかかわるのは、後半の話だ。
 「大岩を切り開き、黒沼赤沼の水を大熊川に抜き、干潟となして石姫を埋めた」のは、古浅川の自現明神のお告げによっているということだ。
by shingen1948 | 2017-09-29 09:01 | ◎ 信仰と文化 | Comments(0)