奥州街道:八丁目天満宮情報から⑦
2017年 07月 25日
そのことは「散策覚書「松川鉱山仲ノ内の変電所」跡⑧」で整理している。
http://kazenoshin.exblog.jp/23815576/
この時には、この渡邉伊佐美氏が八丁目天満宮の「社掌」で、その一切の社務を司っている方なのだろうとの想像だった。そして、この方が兼務で松川鉱山にかかわる山神社の社務を司っているのだろうとの勝手な想像だった。
しかし、今回の散策で、渡邉伊佐美氏が八丁目天満宮の「社掌」でその一切の社務を司っているというのは想像ではなく、確かな事であることが確認できたということだ。
今回の散策で気になりだしたのは、この「社掌渡邉伊佐美碑」は顕彰碑ではなくて、墓碑なのではないのかなということだ。
実は、人々が搗鉱場と呼んだ自家精錬場が設備された古天神地内に設備されていたということとかかわって、今回も古天神の水路確認の散策をしていた。
その水路を探っていると、その水路裏手に墓碑のようなものが見えたのだ。
このすぐ前に民家があるので、小心者には近づく勇気がなかったのだが、この撮っている位置から真北に「社掌渡邉伊佐美碑」があるという位置関係でもあるのだ。
今回は、自家精錬場はさておいて「八丁目天満宮情報」とみて整理する。
ここは明治以降神社の神官としてかかわった多宝院がかかわる処なのか、あるいは八丁目天満宮の旧地がかかわる場所なのではないかと思えてきたということだ。