人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

撮り溜めた写真から22~医王寺の石造供養塔群③

 案内によるとやや後ろにのけぞっているように建っている大型の長方形の板碑とその右側の石塔はセットで父母の逆修供養塔と解説していると読み取る。
 解説の「なかに、松平楽翁の「集古十種」にのっているものが中央より左にあります。上部が欠けた正和2年の板碑」と大型の長方形の板碑とセットで父母の逆修供養塔だとする石塔が同じものなのだと解釈した。

「国立国会図書館デジタルコレクション」で松平楽翁の「集古十種」を確認すると、「集古十種(碑銘之部 下)の48/75にその拓本が確認でる。
 そして、そこから読み取って整理されたものが「巻之八」の「碑銘類(21)104」の59/104に「陸奥国佐場野医王寺碑(併)同国信夫郡飯坂天王寺碑」としたものだと推察する。
 以下のような整理だ。
a0087378_5454854.jpg  陸奥國佐場野醫王寺碑
高2尺8寸余
横1尺7寸余

 どうでもいいことだが、実際に確認してみると、松平楽翁の「集古十種」ではこの板碑を正和3年と読んでいるように見える。これは、ミスではなくて、セットで父母の逆修供養塔との考察を得られた後、こちらも正和2年の板碑だと同定したものだと推察する。拓本を見ると、確かにどちらにもとれそうな感じはする。干支との照らし合わせ確認が済んでいるのかどうかは分からない。
by shingen1948 | 2017-07-02 09:44 | ★ 季節便り | Comments(0)