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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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撮り溜めた写真から⑮~医王寺③

 今回の散策でよく見てきたかったのは「薬師堂」だ。その主たる理由は小笠原國太郎氏とのかかわりだが、医王寺の奥の院としての「薬師堂」の雰囲気を感じたかった。

 その事ことについては、「亀岡邸の大工棟梁は小笠原國太郎⑧:福島の建築(12の2)」の中に記している。ただ、この記事の「薬師堂」の写真は、自分の撮った写真ではない。その写真を入れ替えたいということで、今回の散策の趣旨はこの時と変わらない。
 http://kazenoshin.exblog.jp/23443238/
a0087378_7145114.jpg そもそも医王寺の「医王」というのは、辞書的には、医師が病人を救うように、仏法を説いて人の悩みをいやすところから、仏・菩薩のことを意味するとのこと。薬師如来の異称という意味もあるようだ。(デジタル大辞泉)
 その「薬師如来」を確認すると、その正式名は「薬師瑠璃光如来」といい、また「医王善逝」・「大医王仏」とも呼ばれ、きわめて現世的な病気を治す功徳のある仏としているようだ。

 これらの予備知識を頭において、改めて「医王寺」を確認する。
 ここは、「真言宗の寺院で、山号は瑠璃光山。中世初期に信夫郡を支配した佐藤氏の菩提寺」とのことだ。
 その山号が、「瑠璃光山」とのことで、この薬師如来にかかわった号であることをイメージさせる。
 つまり、この「瑠璃光山」という山号は、「大鳥城記」がいう医王寺「奥の院薬師堂」ということと、「平野の伝承とくらし」がいう「鯖野薬師堂」の「薬師瑠璃光如来が鎮座する地」とかかわっているということなのではないかと、勝手に想像する。

 この医王寺本堂には本尊として大日如来が祀られているそうだが、この「薬師瑠璃光如来」も寺にとって重要な仏様なのではないかという事だ。

 そういう視点から、明治37年(1904)に焼失した「奥の院薬師堂」を、大正4年(1915)12月に竜和和尚が大勧進となり再建されるという事業は、その本来的な意味とかかわっているのではないかというという見え方だ。

 なお、帰り際に、主たる目的である小笠原國太郎氏と医王寺のかかわりを頭において、案内所でいくつか訊ねてみた。
 まずは、医王寺本堂の大改修があったかどうかということ。それに大正4年(1915)の「奥の院薬師堂」再建の大工さんにかかわる情報をお持ちかということ。
 そのどちらも回答いただけなかったので、次に大工さんのかかわりを確認する方法はないかどうかも訊ねてみた。こちらの回答も得られなかった。
 医王寺と小笠原國太郎氏とのかかわり確認という意味では今回も空振りだったが、散策としての満足感は十分にあった。
by shingen1948 | 2017-06-23 09:09 | ★ 季節便り | Comments(0)