撮り溜めた写真から⑧~鎌倉権五郎影政と片目清水②
2017年 06月 16日
順序が逆になったが、「鎌倉権五郎影政と片目清水②」として整理する。
片目清水に戻るのに、2006/3/26の片目清水の写真を張り付ける。
この時は、公園として整備している最中で、ここから清水に近づけないように柵で囲われていた。
さて、微妙な違いの一つは、福島市史の解説を元にした福島の伝承では、権五郎がいられたのは右目だが、「日本の伝説(柳田國男)」では「一統志」の説をとり、流れた血が元で小魚はどれもこれも左の目が潰れているとしている。
二つ目は、福島の案内では、権五郎が目を洗ったら傷が治ったという視点で物語を結ぶ。
多分、こちらは「信達二郡村誌」の「偏盲泉」に「権五郎景政眼を洗い創瘳えたりと言い伝えるは即ち此水なり」とある方を採用したのだろうと思う。
この「信達二郡村誌」では「水質淡冬微温にして夏凄冽早に遇へば益々溢涌をして細沙噴躍す 田畝の灌漑専ら此水に頼る 尤製絲煎茶に適す」というふうに、この泉の水質の良さに視点を置いている。それで「眼病の人々は、ここで眼を洗い治療するという」結びにしたのだとは思うが、地元資料にこの眼を洗い治療するという言い伝えがあることの確認はできていない。
ただ、「日本の伝説(柳田國男)」では、片目の魚がいるのは、大抵はお寺の前の池、または神社の脇にある清水だとして「東京府豊多摩郡高井戸村上高井戸」の例を挙げて次のように解説する。
上高井戸の医王寺の薬師様には眼の悪い人がよくお参りをしに来ますが、その折にはいつも一尾の川魚を持って来て、お堂の前にある小さな池に放すそうです。そうするといつの間にか、その魚は片目をなくしているといいます。夏の頃出水の際などに、池の下流の小さな川で、片目の魚をすくうことが折々ありますが、そんな時にはこれはお薬師様の魚だといって、必ず再びこの池に持って来て放したということです。
この「日本の伝説(柳田國男)」が大抵はこういう話だとした事を元にして、このような結びとしたのかもしれないとも思うのだが、実際はどうなのだろうか。