撮り溜めた写真から⑦~鎌倉権五郎影政と家臣の墓
2017年 06月 13日
この寺の前の通りが散歩でよく通る古くからある道筋だ。寺の境内が整備されてきているので、消滅していないかなと時々眺めてはいた。
それでも、今まで整理していない。その価値がよく分からなかったからだ。
今回確認してみようと思ったのは、「日本の伝説(柳田國男)」に中心的に取り扱われている伝説であることを知ったからだ。
信夫郡余目村南矢野目の「片目の魚」と共に紹介されるのは、次の各地の伝説だ。
〇 東京府豊多摩郡高井戸村上高井戸、
〇 山梨県西山梨郡相川村
〇 長野県小県郡殿城村
〇 新潟県北魚沼郡堀之内町
〇 兵庫県川辺郡稲野村昆陽
〇 大阪府泉北郡八田荘村家原寺
〇 兵庫県加古郡加古川町
〇 栃木県河内郡上三川町
〇 岡山県勝田郡吉野村美野
〇 新潟県中頸城郡櫛池村青柳
〇 静岡県安倍郡賤機村
〇 石川県能美郡大杉谷村赤瀬
そのうちの南矢野目の「片目の魚」と同じように、鎌倉権五郎影政がかかわるのは、秋田県仙北郡金沢町・山形県東村山郡山寺村・山形県飽海郡東平田村北沢・長野県下伊那郡上郷村の伝説が紹介される。
そして、伝説ではことに目一つの人が尊敬せられているとして、鎌倉権五郎景政について、次のように解説する。
鎌倉権五郎景政の如きも、記録には若くて軍に出て眼を射られたというより他に、何事も残ってはいないのに、早くから鎌倉の御霊の社に祀られていました。九州ではまた方々の八幡のお社に、景政の霊が一しょにおまつりしてあるのです。
奥羽地方の多くの村の池で、権五郎が目の傷を洗ったという話があるのも、もとはやはり眼を射られたということを、尊敬していたためではないかと思います。
小林金次郎氏はこの伝説が全国的な伝説の検証の一つになっていることに価値を見出していたということに、自分はようやく気付くことができたということだ。