地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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撮り溜めた写真から⑤~弁財天堂の石塔群から(笹谷熊野神社境内)②

 「大国主大神」碑が建立されたのは「大正13年甲子年」とある。
 確かめてみると、大正13年は西暦1924年で、確かに千支は甲子のようだった。この年8月に西宮市に作られた野球場は、この年の干支から現甲子園球場である甲子園大運動場と命名されているという。
a0087378_7414355.jpg その左隅には、「磐城国小高町大江甲子山 松陽謙吉」の銘が刻まれている。

 「磐城国小高町」や「大国神社」などをキーワードに検索していくと、「郷社益多嶺神社」にたどりついた。
 その「益多嶺神社」を確認すると、「甲子大国社」の名で知られているという情報が得られる。

 「たんぽぽろぐ」というブログに、その神社が案内する由緒がそのまま紹介されているのをみつけた。
 http://momijiaoi.blog.jp/archives/1064241047.html
 注目は、その中で以下のように案内される「甲子祭」の解説だ。
 甲子祭
 毎年6回甲子の日国家の泰平講社氏子信徒の家運長久商売繁盛学業成就交通安全を祈る。
 延喜式神名帳収録(905年)以前より今日まで諸国甲子講を組織し心願成就の御神徳を仰ぐは皆当社の古式によるものにして甲子の御祖甲子大国様と尊称する以所である。


 つまり、この神社は、大国神としての国造りの神・農業神・商業神・医療神などの信仰、縁結びの神、武神、軍神としての信仰と甲子講が習合された形で継承されていると読み取れるということだ。

 弁天堂の後ろに建つ「大国主大神」碑に刻まれる「磐城国小高」・「甲子」・「大国社」のキーワードは、「益多嶺神社」の「甲子講を組織」するという由緒案内と重ねても自然である。    
 この小高の「郷社益多嶺神社」がかかわる碑だろうとの推測が成り立つと思えるのだが、どうだろうか。

 この時点では、「磐城国小高町大江」と刻まれたその「大江」というのが、ちょっとひっかかったままだた。というのは、この神社は現況は「南相馬市小高区大井字宮前」に鎮座する。「大江」ではなく「大井」なのだ。
 しかし、この神社の風景図の古書に「福島県磐城国相馬郡小高町大字大江 延喜式内 郷社益多嶺神社之景」と案内されているのを偶然見つけた。
 少なくともここが「福島県磐城国相馬郡小高町大字大江」という時代があったということは明らかだ。
 
 なお、この神社のある小高区は、東京電力の原発事故の影響で避難区域に指定されていたが、昨年7月に、放射線量が比較的高く1世帯がある「帰還困難区域」を除いて避難指示解除されたとの情報がある。
 「今日の南相馬市小高区」というブログに、「小高区大井の甲子大国社例大祭」が開催されたことが紹介されているのを見た。
 http://blog.goo.ne.jp/konno_y/e/034b782b3139495b11b1c8dc3bd52655
by shingen1948 | 2017-06-10 09:40 | ★ 季節便り | Comments(0)