地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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撮り溜めた写真から②―2~弁天堂後方の石塔「己需塔」④

 弁財天にかかわる事を分析的に整理してきた。近代の教育を受けた者の性なのではないのかなと思っているのだが、とりあえずそうしないと内容がよく理解できないのだ。
 昔の地域の方々は、感覚的にその本質を見極めてアバウトで統合的な思考法だったのではないのかなと思う。
 しかし、近代的な思考をするように教育された我々は、一度分析的に整理して、それをもう一度統合し直してみるという作業的な思考を通さないと、アバウトで統合的な理解に近づけない。
a0087378_965974.jpg さて、ここは、先に「撮り溜めた写真から②~弁天堂後方の石塔「己需塔」③」で「己需塔」が元々建っていた位置と想像した「飯坂路」と「福島路」との分岐点だ。まだ、「福島路」は確実にこの道筋とはいい切れていない。
 手前の道筋がその「福島路」だ。「飯坂路の今昔(二)<佐藤静雄>」では1級市道16号と紹介される。
 右手の奥に進む道筋が、その1級市道16号から分かれ「飯坂路」だ。この道筋が飯坂古道とされる道筋だ。
 この交差点に、あの弁天堂後方の石塔「己需塔」道標が建っていたと想像している。

 情報として飯坂古舘の熊野神社石塔群の中に、文化元甲子年(1804)12月吉日と刻まれた「己需塔」の紹介があったことは先に記した。それで、探してみたのだが今のところ見つかっていない。
 環境整備が進んで撤去あるいは消失した可能性もある。
 ここの「己需塔」が、この辺りでは稀少なものなのかもしれない。
by shingen1948 | 2017-06-08 09:07 | ★ 季節便り | Comments(0)