森鴎外と福島29
2017年 02月 08日
この作品を普通に読み進んでいく中で、「日本種痘の恩人」から横糸のように紡がれる池田家宗家に出会いたいという思いだ。
前回は、その3からその12まで鴎外氏が抽斎氏を知り確認していく経緯が語られていく辺りを整理したが、このあたりまで読み進むと、さほど読みづらさを感じなくなってくる。
「日本種痘の恩人」から横に読んでいったときには、「渋江抽斎(森鴎外)」の作品は、その16からその20までを読んだのだが、縦から読むと、その13辺りから重なってきているように感じる。
そのその13には、抽斎氏の師や年長の友のうち、普く(あまねく)く世に知れわたっている方の概要が記される。
そして、その14に医学の師である「伊沢蘭軒」氏と痘科の師である「池田京水」氏が紹介される。
「伊沢蘭軒」氏は、その13の師達と同様に、その概略が紹介されるのだが、これが、次作に繋がっている。
それに対して、「池田京水」氏については、「日本種痘の恩人」である明の戴曼公から治痘の技術を受けた池田正直氏から池田京水氏の父独美氏までのその技術の継承の概略についても紹介される。
そして、その15で父独美氏からその技術を継承した「池田京水」氏が紹介され、「森鴎外と福島24」で確認したように、その16で「日本種痘の恩人」から「渋江抽斎(森鴎外)」の作品に横糸のように紡がれた話とクロスしてその20まで続く。
その後も作品を読むのに障壁となっているものは無くスムーズに読み進められるが、今回の確認はここまでにする。
「渋江抽斎(森鴎外)」にも「伊藤蘭軒(森鴎外)」の作品の中に紹介される池田家宗家が紹介されていて、このことが福島市大町在住池田宗家第5世池田鑑三郎氏とつながるということの確認が、今回整理の趣旨だからだ。
福島の地元では、「渋江抽斎(森鴎外)」や「伊藤蘭軒(森鴎外)」の作品を福島とのかかわりで紹介される地域資料をみない。それは、この作品が文学好きの読者から評判が悪いととかかわるのだろうか。
しかし、他地域の散策人の中には、これらの作品に登場する探索方法を追試されたり、地域資料を元に作品の補強資料を探し出したりする情報も結構多く見かける。