人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

森鴎外と福島21

 「歴史其儘と歴史離れ」の中では、歴史小説は、「山椒大夫」のように(まだまだだとはいいながらも)「歴史離れ」が大切だとしているように思える。そして、この対極に「椙原品」や「栗山大善」の作品を挙げ、こちらは「歴史離れ」が全くできていない作品で、殆ど単に筋書をしたのみの物になっているとしているように読み取る。

 しかし、氏の最晩年の文業を飾るものは「渋江抽斎」から「伊沢蘭軒」へ連なり、そこから「北條霞亭」へ連なる今日史伝三部作と称される一連の作品群だともされる。
 これらは、素人目にはどちらかと言えば歴史にどっぷりとつかって、離れようとしない作品群に見える。
 しかも、これらの作品は、文学的に作品を読む人々には受け入れられず、「北條霞亭」にいたっては、その連載の中断を迫られるほど評価されなかったと聞く。それでも氏が書きたいものを書くという姿勢を貫いた時にできた作品群だというのだ。

 ところで、鴎外氏の最晩年の歴史小説群を、一般的に、「渋江抽斎」―「伊沢蘭軒」―「北條霞亭」の作品群ととらえられているらしいことが読み取れる。
 しかし、鴎外氏は、直接的には言及しないものの、ここに池田家宗家物語も含めてほしいという思いがあったのではないかということが、「鴎外全集26」の後記から読み取れる。
 それは「日本種痘の恩人」の解説だ。

 「日本種痘の恩人」は、大正5年(1916)2月8日の「大阪朝日新聞」に森鴎外の署名で掲載され、単行本には収められなかったとのことだ。
 日本種痘の恩人が池田瑞仙から始まる池田家宗家の人々を指すのだが、それを頭において解説の続きを読む。
 池田瑞仙の墓をたずねることは「渋江抽斎」のその16からその20に詳しいとある。そして、その16が大阪朝日新聞に掲載されたのは大正5年2月1日であるということだ。

 つまり、鴎外氏は、「日本種痘の恩人」を読んでから、「渋江抽斎」のその16からの「池田瑞仙の墓をたずねる」を読んでほしかったのではないかとと思うのだが、どうだろうか。少なくとも、解説者はそう感じていると思う。 
 解説は、池田一族については、「伊沢蘭軒」のその87(大正5年9月24日東京日日新聞掲載)以下にものべられていることも紹介される。

 鴎外氏の作品を読むのにその難解さを感じて抵抗感があるのなら、横に織りこまれた物語を読むという読み方もあるよと教えていただいたような気分だ。
by shingen1948 | 2017-01-27 09:01 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)