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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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森鴎外と福島⑲

 鴎外氏は、「歴史其儘と歴史離れ」で、「わたくしが山椒大夫を書いた楽屋は、無遠慮にぶちまけて見れば、ざつとこんな物である」として、その制作過程を示している。
 これも青空文庫で読める。
 http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/689_23257.html

 まずは、「これがわたくしの知っている伝説の筋である」として、その元となる素材までも示される。その中の「福島」に係る部分を昨日の整理でふれた。その全体は以下のようだ。

 昔陸奥に磐城判官正氏と云ふ人があった。永保元年の冬罪があって筑紫安楽寺へ流された。妻は二人の子を連れて、岩代の信夫郡にゐた。二人の子は姉をあんじゅと云ひ、弟をつし王と云ふ。母は二人の育つのを待って、父を尋ねに旅立った。越後の直江の浦に来て、応化の橋の下に寝てゐると、そこへ山岡大夫と云ふ人買が来て、だまして舟に載せた。母子三人に、うば竹と云ふ老女が附いてゐたのである。さて沖に漕ぎ出して、山岡大夫は母子主従を二人の船頭に分けて売った。一人は佐渡の二郎で母とうば竹とを買って佐渡へ往く。一人は宮崎の三郎で、あんじゅとつし王とを買って丹後の由良へ往く。佐渡へ渡った母は、舟で入水したうば竹に離れて、粟の鳥を逐はせられる。由良[#「由良」は底本では「山良」]に着いたあんじゆ、つし王は山椒大夫と云ふものに買はれて、姉は汐を汲ませられ、弟は柴を苅らせられる。子供等は親を慕って逃げようとして、額に烙印をせられる。姉が弟を逃がして、跡に残って責め殺される。弟は中山国分寺の僧に救はれて、京都に往く。清水寺で、つし王は梅津院と云ふ貴人に逢ふ。梅津院は七十を越して子がないので、子を授けて貰ひたさに参籠したのである。
 つし王は梅津院の養子にせられて、陸奥守兼丹後守になる。つし王は佐渡へ渡って母を連れ戻し、丹後に入って山椒大夫を竹の鋸で挽き殺させる。山椒大夫には太郎、二郎、三郎の三人の子があつた。兄二人はつし王をいたはったので助命せられ、末の三郎は父と共に虐けたので殺される。


 次に、この素材を元に自分の好みを加え、登場人物の年齢から実際の年号を振り当て、時代背景の考証を加えるなどの脚色をしていった様子が詳細に語られる。

 鴎外氏が山椒大夫を書いた楽屋裏をここまでぶちまけてまで伝えたかったのは、この「山椒大夫」を書いて「歴史離れ」がしたかった思いを伝えたかったようなのだ。

 これとは対照的に「歴史離れ」が全くできていない作品が「椙原品」であり、「栗山大善」であるということだ。これ等は、「北遊記」に記される本務後の散策が「歴史小説」創作につながった作品だ。

 福島の散策を楽しむ者としては、ここで、もし鴎外氏が「山椒大夫」も同じ様な作品に仕上げようとしたならばどうだったろうかという思いが起きる。
 その仮説に想像を膨らませたものが「ふくしま散歩」に描かれる散歩資料のような気がするのだ。そう考えると、追試の散歩が結構楽しめたことにも納得がいく。
 「ふくしま散歩」に描かれる散歩資料は、散歩資料小説になっていたということなのだ思うのだが、どうだろうか。
by shingen1948 | 2017-01-25 09:29 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)