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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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森鴎外と福島⑲

 「栗山大善」は大正3年8月12日に脱稿され、9月の「太陽」に掲載されたとのことだ。
 この作品も、青空文庫で読める。
 http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/681_22936.html
 ただ、自分の散策や興味との関りがないので、今回は作品の概要を整理しておくことに留める。

 この題材は、江戸時代初期に福岡藩黒田家で起きた騒動で、その主人公が黒田氏の家臣利章氏で、一般には通称の栗山大膳の名で知られている方ということだ。
 その概略は以下のようこととして知られているようだ。
 栗山大膳氏は、福岡藩の第2代藩主黒田忠之と対立し、江戸幕府に「忠之に謀反の疑いがある」と訴える。幕府による裁決の結果、「利章は乱心した」ということで利章を陸奥国盛岡藩預かりとし、黒田氏は改易を免れる。
 鴎外氏は、この黒田騒動を題材にして、利章を忠義の人物であり一連の騒動も忠之の暴政を諌めるために起こした事件であるとして描いたという。

 鴎外氏自身は、「歴史其儘と歴史離れ」の中で、以下のように小説としては不十分であると述べている。
 http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/684_18395.html
 「栗山大膳」は、わたくしのすぐれなかつた健康と忙しかつた境界とのために、殆ど単に筋書をしたのみの物になつてゐる。そこでそれを太陽の某記者にわたす時、小説欄に入れずに、雑録様のものに交ぜて出して貰ひたいと云つた。


 このように「北遊記」に記される本務後の散策が、鴎外氏の「歴史小説」創作につながっていることが分かる。そんな中、大正四年一月に「山椒大夫」が中央公論に発表される。
 その素材についての森鴎外氏の認識が「 歴史其儘と歴史離れ」に示される。その認識の中で福島に係るのは、次の部分だ。
 昔陸奥に磐城判官正氏と云ふ人があつた。永保元年の冬罪があつて筑紫安楽寺へ流された。妻は二人の子を連れて、岩代の信夫郡にゐた。二人の子は姉をあんじゆと云ひ、弟をつし王と云ふ。母は二人の育つのを待つて、父を尋ねに旅立つた。

 鴎外氏は、素材と福島のかかわりを「妻と二人の子は岩代の信夫郡にいた」とあり、「母は二人の子が育つのを待って、父を訪ねに旅立つ」というふうに捉えているということだ。
 「昔陸奥に磐城判官正氏と云ふ人があった」ということについては、福島県内でも、福島弁天山の椿館説、本宮の菅森館説、いわき小名浜の住吉館説、三春説など多くの説があるようだ。
 元々の素材は、浄瑠璃本や同様な説経節から全国各地に広まった話だろうから当然な話。

 「ふくしま散歩」では、これを「北遊記」に記される本務後の散策が、鴎外氏の「歴史小説」創作につながっていることと絡めて、福島弁天山の椿館説と結び付けて楽しい福島散歩資料としたものと想像する。
by shingen1948 | 2017-01-24 09:40 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)