地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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森鴎外と福島⑱

 鴎外氏は、歩兵第四聯隊営視察後の散策で「新寺小路孝勝寺三澤光子の墓に往」ったことを、「歴史小説」創作につなげている。
 それが、「椙原品」という作品だ。
 青空文庫で読める。
 http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/2081_23048.html

 作品の最後が、以下のようにしめられていることから、これが大正4年に創作されたものであることが分かる。
 私は去年五月五日に、仙台新寺小路孝勝寺にある初子の墓に詣でた。世間の人の浅岡の墓と云つて参るのがそれである。古色のある玉垣の中に、新しい花崗石の柱を立てゝ、それに三沢初子之墓と題してある。それを見ると、近く亡くなつた女学生の墓ではないかと云ふやうな感じがする。あれは脇へ寄せて建てゝ欲しかつた。仏眼寺の品が墓へは、私は往かなかつた。


 品の墓があるという仏眼寺には、自分も行っていないが、福島の散策をしている者にとっては別の意味でも興味がある。
 この寺の旧地は現野田小学校のはずで、寺が仙台に移った後、福島に残った関係者が売ったのが現渡利仏眼寺で、その寺の跡に仏母寺ができたという関係性だ。

 自分にとっては、鴎外氏の作品はその文体が難しくとっつきにくい。
 しかし、この作品は短編であり、しかも素材となる内容的については、散策時に確認している事なので、ハードルが低く比較的簡単に読める。

 「北遊記」に記される本務後の散策が、鴎外氏の「歴史小説」創作につながっているのはこれだけではない。
 7日、午前7時50分に仙台を発って、昼近くに盛岡に着いた鴎外氏は、三島屋旅館着くと直ぐ阿弥陀堂に行き、寺岡吉右衛門の供養塔と称するものを観る。その次に、栗山大善の墓と称するものを訪ねる。
 「北遊記」には次のように記されるが、これが「栗山大善」という「歴史小説」創作に繋がっている。
 墓石と巨碑とあり。墓石には涼岸良照禅定門云々と刻す。巨碑は字細く苔に覆はれて讀むべからず。

by shingen1948 | 2017-01-23 09:07 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)