地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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森鴎外と福島⑰

 鴎外氏の二度目の来福である大正3年(1914)5月18日から19日にかけての行動を確認すると、「ふくしま散歩」での鴎外氏の紹介は、散歩資料としては勇み足のような気がする。
 しかし、その紹介のままに散歩して地域の散策の楽しさを教えていただいたものにとっては、これを単に勇み足として否定的に捉えることができない。
 これは、小林氏の「ふくしま歴史散歩小説」であって、その小説を通した見え方によって、福島散歩の楽しさを教えていただいたのだと思っている。

 前回までは、鴎外氏の本務とかかわる部分を中心に確認してきたが、今度は、鴎外氏の本務から外れた行動と自分の散策の重なりを確認することを通して、この時に得た感覚から、小林氏の心情的なモチーフを想像してみたいと思う。

 仙台での鴎外氏の行動は、先に「森鴎外と福島⑮」で整理した通りだ。再掲する。

 「北遊記」によると、5月4日午後7時30分に仙台に着き、菊平に宿泊するのだが、次の5日朝、仁田原中将を訪ねた後、砲兵第二聯隊営を視察している。現美術館がその跡地になっているはずだ。そのまま青葉城址まで足を延ばしているようだ。
 宿に戻って昼食後には、歩兵第四聯隊営を視察している。現榴岡にその跡地があって、先に整理したことのある現仙台市歴史民俗資料館は、その兵舎の一部の活用のはずだ。 
 この後、新寺小路の寺を訪ねている。
 そして、仙台衛戌病院の本院を視察するのは、その翌日の6日だ。この時代は、定禅寺跡地のはずという事で、定禅寺の情報を確かめる。
 現青葉区本町3丁目の仙台合同庁舎の敷地を中心に宮城県庁舎にかけて寺域が広がっていたとのことだ。鴎外氏視察時点の病院は、その辺りだったのだろうと想像する。
 この後、図書館に行くようだが、当時の図書館は大正元年(1912)10月独立館を新築した第三代目だろうと推測する。その跡地は勾当台通南端から勾当台公園南部付近らしい。

 この4日午後の本務と地域散策が、自分の「再び仙台散歩」の逆コースになっているのだ。
 鴎外氏は、榴岡の歩兵第四聯隊営を視察した「後、新寺小路孝勝寺三澤光子の墓に往く。次いで同所光寿院の保田光則の墓に往く」。
 「北遊記」では、その後、保田氏関連の墓碑銘から拾ったと思われる16名の没年を記録している。
 保田光則氏は仙台藩の国学者で、藩黌養賢堂和学指南役とのこと。東奥国学の泰斗で、和歌の領袖と称せられ、生田流弾琴の妙手でもあったとのことだが、よく知らない。

 自分の散歩と大きく重なるのは、榴岡の歩兵第四聯隊営を視察から「再び仙台散歩⑭~伊達家墓所(政岡墓所)【http://kazenoshin.exblog.jp/21085716/】」から「再び仙台散歩⑰~伊達家墓所(政岡墓所)④~三沢初子の墓所」までの散策だ。

 「再び仙台散歩21~政岡墓所周辺から榴岡公園へ【http://kazenoshin.exblog.jp/21118500/】と「再び仙台散歩22~政岡墓所周辺から榴岡公園へ②【http://kazenoshin.exblog.jp/21123624/】もかかわると言えばかかわる。

 なお、「榴岡の歩兵第四聯隊営」とかかわるのは、「再び仙台散歩23~政岡墓所周辺から榴岡公園へ③【http://kazenoshin.exblog.jp/21125699/】と「再び仙台散歩32~「もう一つの奥の細道」とかかわって【http://kazenoshin.exblog.jp/21169340/】から「再び仙台散歩34~「もう一つの奥の細道」とかかわって③」あたりの散策だ。
by shingen1948 | 2017-01-22 10:56 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)