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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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森鴎外と福島⑮

 飯坂の地にある「仙台衛戌病院飯坂分院」の本院は、仙台衛戌病院である。
 その本院の概要を確認しておく。
 脈絡的に整合性がなく混乱的に仙台県の成立と東北鎮台が設置されることと絡み合っているようだ。その概要は以下のようだ。

 明治4年(1871)8月廃藩置県で仙台県が成立し、その12月に仙台城に仙台県庁が開庁する。しかし、その一週間後に、石巻に置かれていた東山道鎮台が、仙台に移転して東北鎮台となる。それに伴い、仙台城は兵部省となり、東北鎮台の本営及び兵舎となる。これによって、仙台県庁は旧仙台藩校跡地に移転する。
 その仙台県が宮城県に改称し、仙台県庁が宮城県庁に改称される。

 「仙台衛戌病院」は、この中の仙台県仙台に東北鎮台(明治6年に仙台鎮台に改称)が設置されたことに伴って開設されるようだ。
 まずは、東北鎮台に隣接する二の丸北西亀岡御殿辺りに、軍人軍属の傷病に対応する病院が設置される。それが「仙台鎮台病院」ということだ。
 この病院が、明治10年(1877)12月には定禅寺跡地に移転になり、明治23年(1890)に「仙台衛戌病院」に改称されたということのようだ。
 更に、大正3年3月に、飯坂の地に「仙台衛戌病院飯坂分院」が創立したのだが、その5月19日午前7時には、森林太郎陸軍軍医総監(中将相当)が視察に訪れたということのようだ。

 森林太郎陸軍軍医総監(中将相当)は、当然、東北の要である仙台鎮台の兵舎と仙台衛戌病院も視察している。「北遊記」で確かめる。
 5月4日午後7時30分に仙台に着き、菊平に宿泊するのだが、次の5日朝、仁田原中将を訪ねた後、砲兵第二聯隊営を視察する。ここは、現美術館がその跡地になっているはずだ。
 氏は、そのまま青葉城址まで足を延ばしているようだ。
 宿に戻って昼食後には、歩兵第四聯隊営を視察している。現榴岡にその跡地があって、先に整理したことのある現仙台市歴史民俗資料館は、その兵舎の一部の活用のはずだ。 
 この後、氏は新寺小路の寺を訪ねている。

 仙台衛戌病院の本院を視察するのは、その翌日の6日のようだ。この時代は、定禅寺跡地移転後のはずという事で、定禅寺の情報を確かめる。
 定禅寺は、現青葉区本町3丁目の仙台合同庁舎の敷地を中心に宮城県庁舎にかけて寺域が広がっていたのだそうだ。鴎外氏視察時点の病院は、その辺りだったのだろうと想像する。
 この後、氏は図書館に行くようだが、当時の図書館を確認すると、大正元年(1912)10月に独立館を新築した第三代目だろうと推測できる。
 その跡地は勾当台通南端から勾当台公園南部付近らしい。ということは、病院の直ぐ近くだったということのようだ。
by shingen1948 | 2017-01-20 09:08 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)