地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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森鴎外と福島⑬

 「北遊記」5月18日に「歩兵連隊集会所に午餐す。午後1時55分山形を発す。6時55分福島に至る。自動車に乗りて飯坂花水館に往き、投宿す」とあるようだ。
 飯坂に向かうのは、旅の目的から推測すれば、ここに「仙台衛戌病院飯坂分院」があったからだと思う。ただ、19時に福島駅に着き、ここから自動車で飯坂花水館に行って、宿に泊まるということなので、病院職員が花水館で歓待したという事なのかもしれない。
 次の日には東京に戻らなければならない日程の中、わざわざ足を運んでくださったそれ自体で名誉な事だったのではないかと想像する。何しろ鴎外氏は陸軍軍医総監(中将相当)なのだから、……。

 「ラジウム霊泉郷土之栞」では、「仙台衛戌病院飯坂分院」は次のように紹介される。

 町の西北赤川岸上高燥の地を選びて第二師団管内の病兵療養と為す、大正3年3月の創立にして敷地貮千七百五拾五坪専属温泉を備ひて第二、第八、第十四師団の全部、及び第十三師団の一部の患者を収容す、患者定員五十名とし、一人概ね五週間以内を其療期とす、患者の種類は胸膜炎恢復期のもの最も多くして、骨折捻挫等の外傷患者之に亞ぎ痔瘻、痔核、其手術後の創面患者、並に神経系統に属する病を主要なるものとして入浴、運動、慰労方法に依り空気療養を施すものなりと、成蹟頗る見るべきものあり、体重増加の割合は一人に付平均三百匁乃至七百匁にして全治者は八十パーセントより九十パーセントに至ると言ふ

 「仙台衛戌病院飯坂分院」が創立して2月後には、森林太郎陸軍軍医総監(中将相当)が視察に顔を出してくださったということだということなのだということが分かる。
by shingen1948 | 2017-01-18 09:37 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)