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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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森鴎外と福島⑥

「高子から全国に発信される文学活動②~熊阪台州氏⑧」で、明治時代の文豪森鴎外氏が「西遊紀行」を参考文献として挙げているらしい情報にふれた。「真間の手児奈の祠に詣でた際の詩を挙げて、『てこな』とは『蝴蝶』のことであることを熊阪子彦の説によったと述べている」ということだった。

それで、まずは明治時代の文豪森鴎外氏が「西遊紀行(熊阪台州氏)」を参考文献と引いているということに注目して「高子から全国に発信される文学活動⑥~熊阪台州氏⑫」まで話を展開した。

次に、「真間の手児奈」の内容にかかわって、「高子から全国に発信される文学活動⑦~熊阪台州氏⑬」から「高子から全国に発信される文学活動⑧~熊阪台州氏⑭」まで確認した。

更に、森鴎外が真間の手児奈は「蝴蝶」のことだろうとしたその元になる熊坂子彦の説とはどのようなものであったのかという問いに必要な予備知識を「高子から全国に発信される文学活動⑨~熊阪台州氏⑮」で確認した。

それらの確認を通して、、自分の知識のなさを感じたところだった。


 この確認とかかわるのが「北游日乗」だ。明治15年2月から3月にかけて北越に徴兵の業務遂行の旅の日記のようだ。

鴎外氏の経歴と照らし合わせると、立場は微妙に違っていて、前年の12月16日付東京陸軍病院課僚被仰付候事とその年の2月7日付第一軍管徴兵副医官被仰付候事の身分で、まだ東部検閲監軍部長属員ではない。

まず、自紀材料で概要を確認する。 「8日、徴兵に北國に出立つ。(北游日乗一巻あり)」とあり、次が「14日栃木に至る」とある。

次に、その「北游日乗」を確認する。


 見送りの中に「佐藤應渠師詩歌もて我行送らる」が見える。(この方が、「舊遊」とかかわると思われる)

小綱町三丁目の河内屋で券を買い新大橋より通運丸という船に乗る。

この船旅の景色を楽しんでいる時に、「徒然なるままに『舊遊』の事などおもひ出つ」ということだ。その「舊遊」について説明されるのだが、その説明の中に「熊阪子彦の説に氐胡奈とは蝴蝶の義なりといへるに據りたり」とあって、出発にかかわる項が締められ、次に14日の記録になっているということだ。


by shingen1948 | 2017-01-10 09:13 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)