地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「伊沢蘭軒(森鴎外)」と福島⑥

 昨日、「伊沢蘭軒(森鴎外)」がいう孫娘と婚姻されたという初代全安氏の後に、その男子が全安を名乗ることまで整理した。
 この方が、「ルーツを訪ねて 江戸の疱瘡医 池田京水とその一族(平成7年自主出版)」の著者である在逗子市在住耳鼻咽喉科医中尾英雄氏の曽祖父にあたるということのようだ。
 森鴎外氏が主として知りたかったのはこちらの系列で、池田家宗家の確認は、そのための手段という側面もあったようだ。

 福島市大町在住の池田家宗家末裔鑑三郎氏がかかわる池田家宗家の合墓を、鑑三郎氏が明治30年に谷中墓地に建てた事は、「伊澤蘭軒」の作品の中で確認している。
 「日曜スケッチ散歩」というページでは、そちらも訪ね「池田瑞仙の墓」として作品に仕上げている。
http://aki.art.coocan.jp/frame-top.html
 こちらは広大な霊園で池田家の墓を探すのは至難の業だったという。求める位置は、z-9-14なそうだが、次のようにその散策を描写する。
 日暮里駅から行くと幸田露伴で知られる天王寺五重塔跡を左に折れ、真っ直ぐ突き進んだ徳川家墓地の直ぐ手前に(その位置は)ある。しかしこれも直ぐには見つけられなかった。一筋違いの9-15の外れに、それも生垣に隠れるようにしてあった。敷地の囲いが無く墓石だけが一基ぽつんと立っていて、暫く手入れをしていない風だった。

 次に、「中尾さんの本によると、福島に新しく墓を作り、谷中には管理料を払いたまに詣でる程度であるという」とある。
 この「暫く手入れをしていない風」の理由を述べているのだが、もう一つ読み取れることがある。
というのは、この「中尾さんの本」出版は平成7年だ。
 この時点で、福島市大町在住の池田家宗家末裔鑑三郎氏から続く宗家の新しい墓は福島市にあり、その末裔の方は、この谷中の墓は管理料を払ってたまに詣でる程度だということだ。
 ということは、平成7年時点でも、その末裔の方は福島市在住と読み取れるということだ。

 ここで、余談。
 京水氏が瑞仙氏の奥方とそりが合わずに嗣子を辞退することになった事については先にふれた。鴎外氏も散策者も京水氏側からの視点でみている。
 合墓は7人の戒名が刻まれているというが、当然、その夫人の戒名が初代瑞仙氏に続いて刻まれている。
 それが、次のような辛辣な紹介になっている。
「門人の一人と謀って京水を追い出し、その若いツバメを養嗣子に変わらしめようとした……」
 ここでいう「若いツバメ」が、直卿(実村岡普左衛門常信次男普次郎 晋 二世瑞仙 号柔行 霧渓)氏ということかな。
 これが、「二医官伝(松本清張)」に興味がつながるということなのかもしれないが、今回はここまでの確認とする。
by shingen1948 | 2017-01-02 09:26 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)