地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「伊沢蘭軒(森鴎外)」と福島⑤

 「伊沢蘭軒(森鴎外)」の90に「わたくしは池田錦橋の死を語り、又錦橋並に其一族の事蹟に幾多未解決の疑問のあることをも言つた。その主なるものは錦橋の年齢、其廃嫡子京水の出自等である」とあり、その89で「錦橋の年齢」を考察している。

 鴎外氏は、渋江抽斎氏の痘科の師であり、伊沢蘭軒氏ともかかわる池田京水氏の系統にかかわる情報がほしかったことが分かる。
 この部分を「吉見一族~その系譜と事歴」のページを補助資料として確認する。
 http://www.yoshimi-rekishi.or.tv/index.htm
 「伊沢蘭軒(森鴎外)」の池田京水氏は、ここでは「池田善直」氏とされる。

 天明6年~天保7年。池田信郷三男とあり、次の字名が紹介されるが、その号に「京水」もみえる。
 「貞之助、佑二、号杏春、瑞英、河澄、京水、酔醒、生酔道人」。
 鴎外氏が言う池田錦橋氏は、ここでは池田善郷氏と紹介されるのだが、「初め叔父池田善郷の養子となるが、継母に疎まれた為、自ら継嗣を辞退した」とある。
 善直氏は若くしてその医師としての能力を発揮し、16歳で神田明神下に町医者として開業しているようだ。解説では、その翌年には初めて弟子を採り、本庄近江守(御詰並、1万石)の嫡男の治療に当たっているとある。渋江抽斎氏とかかわるのはこの辺りなのだろうと想像する。
 文政3年には、幕府医学館に出仕が解説される。

 ここから読み取れることを整理する。
 池田京水氏と池田錦橋氏とのかかわりは、血縁的には叔父甥の関係のようだ。
 跡継ぎのために養子縁組をしたようだが、婚姻が絡むのかどうかは分からなが、錦橋氏の妻との折り合いが悪く、跡継ぎを辞退したことが読み取れる。
 家系図から読み取れるのは、正明氏の長男が善郷(錦橋)氏で、その次男が玄俊氏で、この方の三男が善直(京水)氏ということだ。ということは、この家系図の玄俊氏が、解説の池田信郷氏という事なのだろうと想像される。
 その善直(京水)氏には、9人の男子と2人の女子があって、その7男が全吉氏ということのようだ。この方が「伊沢蘭軒(森鴎外)」がいう孫娘と婚姻されたという初代全安氏なのでろうと思われる。ただ、この方が後に離縁するようで、その子が全安を名乗るようになるようだ。

 この程度の予備知識があれば、作品はスムーズに読めそうだ。
by shingen1948 | 2017-01-01 09:08 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)