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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「伊沢蘭軒(森鴎外)」と福島③

 「伊沢蘭軒(森鴎外)」の作品88では、「池田氏」にかかわる資料について、次のように整理して述べている。
 池田氏宗家の末裔鑑三郎さんは、独りわたくしに宗家の墓の現在地を教へたのみではない。又わたくしに重要なる史料を示した。わたくしは上に云つた如く、直卿の撰んだ錦橋の行状、直温の撰んだ過去帖、富士川氏の記載、以上三つのものを使用することを得たに過ぎなかつた。然るにわたくしは鑑三郎と相識るに至つて、窪田寛さんの所蔵の池田氏系図並に先祖書を借ることを得た。これが新に加はつた第四の材料である。

 福島市大町在住池田鑑三郎氏は、ここでは「池田氏宗家の末裔鑑三郎さん」と紹介される。彼は、鴎外氏に宗家の墓の現在地を教へ、鴎外氏の池田氏にかかわる第四の資料である「窪田寛さん所蔵の池田氏系図並に先祖書」を貸したことが分かる。
 ここで、窪田寛さんというのは、恐らく第4世がちょっと複雑で、第3世直温の妻である啓さんが継ぐこととの関りなのだと思う。この啓さんが窪田清三郎の娘さんであり、窪田寛さんはその本家筋の末裔の方なのだろうと思う。

 鴎外文庫を検索すると「池田氏事績」がみつかる。「伊沢蘭軒」執筆の際の資料を、鴎外氏が1冊に綴じた本なそうだ。
 その内容についての解説で、「江戸黄檗禅刹記」「「嶺松寺の部」より抄録の錦橋墓碑文(渋江保による)」とともに、池田錦橋・京水に関する鴎外の調査手録というのも含まれているとある。これが鑑三郎氏の案内によるものだろうと想像する。
 解説に「黄檗山に錦橋の墓を訪ねた森潤三郎の報告書簡」とあることから、近世学芸史の研究者である弟にカンファレンスしていることも分かる。
 ここに、「窪田寛さん所蔵の池田氏系図並に先祖書」の写しが含まれているかどうかは分からない。

 散策を楽しむ者なら、誰しもがこれを資料に鴎外氏が訪ねた池田氏墓地を追体験したいと思うところだ。しかし、そこに出かける元気はない。今のところは、散策者をネットで探しあてて、その探索者の体験を読むことで間接的な疑似体験で満足している。
by shingen1948 | 2016-12-30 09:31 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)