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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「伊沢蘭軒(森鴎外)」と福島②

 「伊沢蘭軒(森鴎外)」によれば、福島市大町在住池田鑑三郎氏は、始て公認せられた痘科の医である池田錦橋の代からの池田宗家第5世とのことだ。
 「伊沢蘭軒(森鴎外)」では、87項から90項まで、この福島市大町在住池田宗家第5世池田鑑三郎氏の案内でその関係性を確認する様子が描かれる。
 鴎外氏が作業を通して分かった事も含めて池田錦橋の代からの池田宗家第5世までを整理すると、第2世は直卿、第3世は直温、第4世がちょっと複雑で、直温の妻である(=窪田清三郎の娘)啓が襲ぐ、そして、池田宗家第5世が福島市大町在住池田鑑三郎氏ということのようだ。

 「錦橋は始て公認せられた痘科の医である」の部分を、「吉見一族~その系譜と事歴」のページを補助資料にして確認する。
 http://www.yoshimi-rekishi.or.tv/index.htm
 ここでは、池田善郷氏で解説される。
 元文元年~文化9年。初代瑞仙とあり、他に、幾之助、雄次、善卿、錦橋、瑞仙、獨美、蟾翁の字名が紹介される。
 7歳の時に、父杏仙正明氏が没したので、叔父槙本坊詮応について疱瘡治療を学ぶ。19歳の時には、岩国藩医桑原玄忠に雑病の治療術を学ぶ。
 宝暦12年、母と共に安芸宮島に移り、疱瘡治療に功をなしたという。その後、大阪・京都に移って治痘術で名声を得たという。
 その功績で、寛政9年に幕府より召出され(200俵扶持)、翌年には奥詰医師となり、幕府医学館の教授も務めたという。

 「錦橋の曾祖父崇山が笠を師として痘科を受けた」の部分も、同じ補助資料で確認する。
 その補助資料では、池田正直氏で解説される。
 生年不詳~延宝5年。号は嵩山。岩国藩医官で、姓を生田から池田に改めたとのこと。
 寛文年間に、明から来日した僧戴曼公から疱瘡の治療術を伝授された。これが我国最初の疱瘡治療であると伝えられるという。

 その系譜をみると、この池田正直氏から、正俊氏、正明氏を経て、善郷氏に継がれている。
by shingen1948 | 2016-12-29 09:33 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)