地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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高子から全国に発信される文学活動④~熊阪台州氏⑩

 森鴎外史伝三部作の第二「伊沢蘭軒」という作品で、語り手の熊阪3代について推定したことと、そこから想像できることを確認する。

 作品の中では、二つの推定が読み取れる。
 その一つは、盤坂と誤記される熊阪盤谷氏が、熊阪台州、熊阪覇陵氏とかかわる熊阪盤谷氏と同一人物であるとの以下の推定部分だ。
 熊板は或は熊坂の誤ではなからうか。これはわたくしの手抄に係る五山堂詩話の文に依つて言ふのである。わたくしは偶その何巻なるを註せなかつたので、今遽に刊木の詩話を検することを得ない。其文はかうである。「東奥熊坂秀。字君実。号磐谷。家資巨万。累世好施。大父覇陵山人頗喜禅理。好誦蘇黄詩。至乃翁台州。嗜学益深。蔵書殆万巻。自称邑中文不識。海内知名之士。無不交投縞紵。磐谷能継箕裘。家声赫著。」蘭軒の贈言を得た人は其字を同じうし、其郷を同じうしてゐて、氏に熊字がある。且詩の云ふ所が、菊池五山の叙する所と概ね符合してゐる。二者の同一人物たること、殆ど疑を容れない。

 地元では熊阪覇陵氏を中心に熊阪氏が素晴らしい学者だったことが発信されるが、その事も含めて全国に発信したのは熊阪台州氏だ。熊阪覇陵氏は、熊阪台州氏の著作を通して発信されているはずだ。「『吾妻鏡補』と熊阪台州・盤谷(徳田武)」によれば、磐谷氏が活躍できる基盤も、熊阪台州氏によって築かれていたとのことだ。
 そこに、森鴎外史伝三部作の第二「伊沢蘭軒」の語りでは、熊坂が熊阪の誤記であり、それが、熊阪台州、熊阪覇陵氏とつながる磐谷氏だと確信をもって推定できているという事を重ねれば、語り手は、熊阪台州氏の著作を読み込んでいることは明らかなことだと思われる。
 その作者である森鴎外氏も然りだ。

 先に「鴎外文庫データベース」から熊阪台州氏の著作所蔵が確認できないことから、鴎外氏が「西遊紀行(熊阪台州氏)」を所蔵してい観海氏への関心を通して「西遊紀行(熊阪台州氏)」を目にしていたのだろうかとの推定に留めていた。しかし、この事はもっと確からしいことであって、鴎外氏は熊阪台州氏の著作を読み込んでいたということになる。
by shingen1948 | 2016-12-22 09:11 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)