地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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高子から全国に発信される文学活動③~熊阪台州氏⑨

 説明するのに、明治時代の文豪森鴎外氏とのかかわりはインパクトのある情報だろうという事で確認作業をしている。その中で、確認できたのが、次の事だ。
 その一つが、「北游日乗」という森鴎外の日記で、「西遊紀行」を参考文献として挙げているらしい情報にふれること。
 もう一つが、その「西遊紀行」発行に尽力いただいた松崎観海氏の「観海雑記」の写本を所蔵していたということ。

 ここで、もう一つほしいところだと思った。
 それで、作品群の中にかかわるものがないだろうかという事で、いろいろなキーワードを入れて検索してみたら、ありました。
 森鴎外史伝三部作の第二「伊沢蘭軒」という作品だ。この作品は、新聞連載作品のようだが、評判は芳しくなかったとも……。それでも、鴎外の蘭軒に対する打ち込みようには強いものがあったとも、……。

 その作品の連載の129回目に、台州氏の子である盤岩とのかかわりから、熊阪氏3代について、説明する箇所があった。

 この回は、文政5年(1822)の秋の蘭軒の詩は、末の三首が森枳園の手写しで、その前に看過すことの出来ない一首があるとの書き出しで、7月13日に蘭軒が債鬼に肉薄せられ、千万謝言の後、架上の書を抽いて読んだという作品が紹介それる。
 それが、枳園の書したもので、その最初の詩が「熊板君実将帰東奥、臨別贈以一律」と題してあるということで、熊阪盤谷氏の次の作品が紹介される。

 「君家先世称雄武。遺訓守淳猶混農。賑恤郷隣経奕葉。優游翰墨托高踪。自言真隠名何隠。人喚素封徳可封。遥想東帰秋爽日。恢然拄笏対群峰。」

 そして、作者熊阪氏について、次のように解説される。
 熊板は或は熊坂の誤ではなからうか。これはわたくしの手抄に係る五山堂詩話の文に依つて言ふのである。わたくしは偶その何巻なるを註せなかつたので、今遽に刊木の詩話を検することを得ない。其文はかうである。「東奥熊坂秀。字君実。号磐谷。家資巨万。累世好施。大父覇陵山人頗喜禅理。好誦蘇黄詩。至乃翁台州。嗜学益深。蔵書殆万巻。自称邑中文不識。海内知名之士。無不交投縞紵。磐谷能継箕裘。家声赫著。」蘭軒の贈言を得た人は其字を同じうし、其郷を同じうしてゐて、氏に熊字がある。且詩の云ふ所が、菊池五山の叙する所と概ね符合してゐる。二者の同一人物たること、殆ど疑を容れない。
 五山の言は磐谷の大父まで溯つてゐて、三世以上に及ばない。しかし蘭軒の「君家先世称雄武、遺訓守淳猶混農」と云ふより推せば、磐谷の祖先は武士であつただらう。


 この話が、「看過すことの出来ない一首」と次のように結びつく。
 さて蘭軒の「賑恤郷隣経奕葉」と云ふは、五山の所謂「累世好施」である。その「優游翰墨托高踪」と云ふは、五山の挙ぐる所の禅を修め詩を誦した祖父覇陵と、学を好み書を蔵した父台州とである。わたくしはこれを符合と看るのである。想ふに磐谷は江戸にある間、五山と交つた如くに、又蘭軒とも交つたのであらろ。


 森鴎外史伝三部作の第二「伊沢蘭軒」という作品に、伊沢蘭軒の作品にかかわって、台州の子盤谷、台州、そして父覇陵が登場するとの説明ができそうだ。
by shingen1948 | 2016-12-20 09:12 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)