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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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亀岡邸の大工棟梁は小笠原國太郎⑧:福島の建築(12の2)

 結局、医王寺の建設工事と小笠原國太郎氏とのかかわりは確認できなかった。
a0087378_644086.jpg ただ、その確認の中で自分の視点が薬師堂に向けられた時、医王寺についての自分の偏った見え方に気づいた。それは、「奥の院薬師堂」についての思い入れを感じながら、理解できていないこととかかわる。
 (手持ちの写真は家族が写りこんでいるので、この「奥の院薬師堂」の写真は、福島市の観光のページからお借りした)

 医王寺と言えば、中世初期に信夫郡を支配した佐藤氏の菩提寺だとか、境内には佐藤基治とその子佐藤継信と佐藤忠信の墓とされる板碑が残るとか、後年、奥の細道の松尾芭蕉が訪れたというイメージしか持ち合わせていないということにかかわる見え方しかなかった。
 多分、解説する人にとっては常識的な見え方なのであえて説明しなかった知識を、自分には持ち合わせていなかったということなのだと思う。

 そもそも医王寺の「医王」というのは、辞書的には、医師が病人を救うように、仏法を説いて人の悩みをいやすところから、仏・菩薩のことを意味するとのこと。薬師如来の異称という意味もあるようだ。(デジタル大辞泉)

 その「薬師如来」を確認すると、その正式名は「薬師瑠璃光如来」といい、また「医王善逝」・「大医王仏」とも呼ばれ、きわめて現世的な病気を治す功徳のある仏としているようだ。

 これらの予備知識を頭において、改めて「医王寺」を確認すると、「真言宗の寺院で、山号は瑠璃光山。中世初期に信夫郡を支配した佐藤氏の菩提寺」とある。
 その山号までも瑠璃光山ということで、薬師如来にかかわっているということだ。
 つまり、この「瑠璃光山」という山号と、「大鳥城記」がいう「奥の院薬師堂」、「平野の伝承とくらし」がいう「鯖野薬師堂」の薬師瑠璃光如来が鎮座する地とかかわるということなのではないのだろうか。

 医王寺本堂には本尊として大日如来が祀られているそうだが、確認していくと、この「薬師瑠璃光如来」が重要な仏様らしいということだ。
 そういう視点を加えることで、明治37年(1904)に焼失した「奥の院薬師堂」を、大正4年(1915)12月に竜和和尚が大勧進となり再建されるという事業が、本来的な意味を持つ見え方で眺められるようになったのだと思ってる。
 次の機会には、この「奥の院薬師堂」をよく見てきたいなと思っている。
by shingen1948 | 2016-12-05 09:43 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)