地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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亀岡邸の大工棟梁は小笠原國太郎⑦:福島の建築(12の2)

 飯坂温泉の「なかむらや旅館」「旧花水館奥御殿」が、小笠原國太郎氏の仕事らしいという事で整理してきた。
 他に「医王寺本堂」の建築も氏の仕事との紹介がある。しかし、手持ちの散歩資料からは本堂の明治時代改修が読み取れないでいる。
a0087378_851511.jpg 「大鳥城記」では、確かにこの寺は何度も火災に遭っているようで、そのたびに再建を繰り返していることは読み取れる。元禄7年、享和3年、文化2年等の本堂や客殿の建立は、古文書で確認できるという。これらは、火災による焼失だろうと想像されるようだ。
 ただ、現在の本堂や庫裏は、文化2年に建てられたものと推定されているようだ。この建物の改修が明治時代に行われたということなのだろうか。

 この寺の明治から大正にかけての気になる改修がある。
 大正4年(1915)に行われたといわれる薬師堂の改修だ。
 明治37年(1904)に「奥の院薬師堂」が焼失し、大正4年(1915)12月に再建されたことが記される。しかも、「竜和和尚が大勧進となり再建した」との表現で、大きな仕事であったことが想像される。
 こちらなら、年代的にはあいそうに思う。

「平野の伝承とくらし」では、「大鳥城記」で「奥の院薬師堂」と紹介される薬師堂を「鯖野薬師堂」と称して、次のように解説される。
 この薬師堂は、佐藤基治がいたく薬師仏を信仰して、弘法大師の御作といわれる薬師仏の尊像と、玄心僧都の献上した薬師仏の尊像とを鯖野の里に御堂を建て併安し、これを鯖野薬師と称したのである。医王寺の門を入ると老杉が立ち並ぶ古い参道をまっすぐに進むと、杉森の中にこの御堂がある。 基治が建てた御堂は結構の贅美をつくした実に立派な御堂であったが、明治36年火災に罹り、さしも壮麗な御堂が烏有に帰してしまったのである。それから久しく再建できないでいたが、大正4年12月竜譲和尚が大勧進となり、非常な苦心努力を払って再建したのが今の御堂である。
 
 今のところ、福島側からの散歩情報では曖昧なままで、確認がとれていない。
by shingen1948 | 2016-12-04 08:52 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)