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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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亀岡邸の大工棟梁は小笠原國太郎⑦:福島の建築(12の2)

 街づくりの変革のスタートの方が、明治21年(1888)「飯坂大火」より早いのが分かるのは、花水館の屋号変更や「なかむらや旅館」への売却委譲、それに飯坂大火の時間経過だ。その事については、先の「ふくしまの建築42~花水館②「不易と流行」」の後半に記している。
 http://kazenoshin.exblog.jp/11420930/
 中村屋が土湯から飯坂に移るのは明治22年だが、「花菱館」の屋号を「花水館」に改めたのは、明治20年だ。
 花水館は、明治20年に土湯から移転する計画のあった中村屋に旧建物を売却する見通しで、現在地に移転しているのだ。この時に、再出発するという意味で「花水館」と屋号を変えたということだ。
 そして、飯坂大火が起きるのは明治21年だが、この時、幸い売却予定の建物が残っていて、鯖湖湯再建も順調に進んでいたということだ。
 この大火の時には、計画通りに事が進んでいて、その滝の湯が発展したという経緯のようなのだ。

 明治時代の飯坂大火は、大概この明治21年(1888)の飯坂大火とするが、鯖湖地区では明治13年(1880)にも大きな火災があった事は、「堀切邸」のパンフレットの「堀切家年表」で分かる。
a0087378_10304233.jpg その火災で「堀切邸」の母屋が焼失し、翌年に再建しているということだ。
 その年表の明治16年(1883)に、堀切良平上飯坂村ほか5村の任命戸長になるとある。これが、先に「この時期の飯坂の変革とも取れるうねりに堀切良平氏がかかわり、大火の焼け跡整備に私財を投げうって奔走したようだ」としたこととかかわるのだろうと想像する。
 その変革に伴う建築に、小笠原國太郎氏がかかわっていたという関係性だろうと思われる。

 なお、この堀切邸については、「飯坂散歩② ~ 堀切邸」で整理している。
 http://kazenoshin.exblog.jp/11853378/
by shingen1948 | 2016-12-03 10:28 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)