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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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亀岡邸の大工棟梁は小笠原國太郎⑤:福島の建築(12の2)

 頂いた資料の亀岡邸の大工棟梁は小笠原國太郎氏の紹介によると、「旧花水館奥御殿」も手掛けているとのことだった。
 「なかむらや旅館新館」は、「洋風農家かめおか」のエピソードからその確からしさの確率が高いように感じるが、こちらはその根拠は示されていない。ただ、「伊達市ホームページ」の「旧亀岡住宅」を紹介するページの「設計と施工」の項でも以下のように紹介されているところを見ると、ほぼ定説なのかもしれないとも思う。
 亀岡正元家文書によると、施工は飯坂町の大工小笠原国太郎が行ったとみられる。国太郎が手掛けた建物には、他に福島市飯坂町の「なかむらや旅館」と「花水館奥の間(御殿)」(ともに登録有形文化財)がある。

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 先にも記したように、「旧花水館奥御殿」については、何度か整理を試みていたが、建物が花水館の奥にあることで、全体の姿がとらえ切れていなかった。
それが、花水館の廃業によって姿を現したことを機に「節目よりは、継続を意識すべき正月②:福島の建築42~花水館⑤<奥の間御殿>」として整理し直している。
http://kazenoshin.exblog.jp/14415214/ 
 この中に、「中庭にある貴賓室・御殿の間は、明治30年に新潟の宮大工によって建てられた木造平屋建、銅板葺の純和風建築である。内装の造作に見るべきものがあり、往時の佇まいを今に伝える」とある。多分、「花水館」のホームページから拾った情報だと思う。
 自分としては、この「明治30年に新潟の宮大工によって建てられた」という情報があって、今回の以下の大工棟梁小笠原國太郎氏の略歴と接しているので、自然に受け入れてはいる。
 万延元年(1860)4月8日新潟県長岡市寺泊町生まれ。大工修業の後、福島県飯坂町に赴き、飯坂温泉の「なかむらや旅館」「旧花水館奥御殿」「医王寺本堂」の建築を行いました。
後に、妻子を呼寄せ、福島市飯坂町に居を構えました。墓地は、新潟県長岡市寺泊町にあります。子孫の方は大工を継承しなかったため、記録・道具類などは残っていません。
昭和3年(1928)1月19日逝去。享年69歳。

by shingen1948 | 2016-12-01 09:44 | Comments(0)