亀岡邸の大工棟梁は小笠原國太郎④:福島の建築(12の2)
2016年 11月 30日
この旅館は、本館も新館も国指定の重要文化財なのだが、本館が江戸時代創業時の旅館で、新館は明治期の建物。そうなると、素人は、つい本館の方に目が向いてしまう。
それが、今回、亀岡邸との比較を意識したことで、明治の新館に視点を移して眺めることになった結果、こちら側の整理がおろそかになっていることに気が付いた。
あらためて、新館を中心に整理し直す。
「文化遺産オンライン」サイトの「なかむらや旅館新館」に基本的なデータが示される。
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/165822
「信夫の里の旧家を訪ねて(島貫 倫)【歴史春秋出版】」の「なかむらや旅館」の解説から、明治館にかかわる部分を拾う。
「明治館は、総ケヤキ造りで、部屋ごとにそれぞれ特色があり、床の間、書院、そして建具や床に至るまで、職人の技が見受けられます」とある。
「棟梁の目~ココがみどころ」として、専門家から見た具体的な職人の技が解説される。
その一つに、明治館の廻り階段を支える丸柱が上から吊っていることを挙げている。
一階のスペースを確保するための工夫なそうだ。
2階と3階の間にある丸柱の造作についての解説のようだ。
材質と手すりの構造に旧亀岡邸との共通点をみたが、差異点はなかむらや明治館では、ここを踊り場として折り返す構造になっているようだ。
旧亀岡邸ではアール状の構造だ。素人考えでは、これも一階のスペース確保とかかわっているような気がする。踊り場分の空間と共に、階段の底辺もアールになっていることで、一階客間の天井の工夫分を確保しているのではないのかなと勝手に想像する。
もう一つ、床の間の紫檀・黒檀・鉄刀木の三銘木配置と欅の床板に埋め込まれた黒柿の亀の埋木が紹介される。欅の年輪を波紋に見立てているという。
旧亀岡家住宅にも、様々な彫り物が随所にあるようだが、撮った写真に写りこんでいたのは、3階へと続く階段の傷の部分。
ここに柿が彫られていて、その傷が背景として生かされる見事さに通じるのかな。