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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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亀岡邸の大工棟梁は小笠原國太郎:福島の建築(12の2)

a0087378_5511599.jpg 江川氏設計とかかわるとされる建築物の天井構造についての整理は済んでいないが、見学者の立場では、和室の雰囲気と一体的なものだ。ましや、当時の建築物は、設計と大工は、阿吽の呼吸で造作が進められているという。更に、施工者である小笠原國太郎氏と設計者である江川三郎八氏は、基本的な修行を宮大工として行っているという。

 両者の仕事を一体的にしか感じられないのは、必ずしも素人のせいばかりではなさそうに思う。
 大工棟梁小笠原國太郎氏を確認しながら、整理を続けたい。

 先にも整理したように、亀岡邸の大工棟梁が小笠原國太郎氏であることは、作料請取の署名資料もあり確かなことのようだ。今回頂いた資料からは、正元氏や國太郎氏の御子孫にまで綿密に取材されて調査されたことが分かる。
 その大工棟梁小笠原國太郎氏の略歴は、以下のように整理されている。
 万延元年(1860)4月8日新潟県長岡市寺泊町生まれ。大工修業の後、福島県飯坂町に赴き、飯坂温泉の「なかむらや旅館」「旧花水館奥御殿」「医王寺本堂」の建築を行いました。
 後に、妻子を呼寄せ、福島市飯坂町に居を構えました。墓地は、新潟県長岡市寺泊町にあります。子孫の方は大工を継承しなかったため、記録・道具類などは残っていません。
 昭和3年(1928)1月19日逝去。享年69歳。
 ここでの注目は、「なかむらや旅館」「旧花水館奥御殿」「医王寺本堂」の建築は、氏の仕事ということだ。
 その何れの建物も、今回の震災後も残っているということもある。もっとすごいと思うのは、「なかむらや旅館」と「旧花水館奥御殿」は、両方とも国指定重要文化財になっているという事だ。

 この「なかむらや旅館」については、「福島の建築30」として整理している。
 http://kazenoshin.exblog.jp/10112983/
 また、「福島の建築42」に、花水館を整理したこととかかわって、この旅館は旧花水館である花菱屋から買い取り、新たに増築して創業したことについて、「ふくしまの建築42~花水館②「不易と流行」」としても整理している。
 http://kazenoshin.exblog.jp/11420930/
 「旧花水館奥御殿」については、何度か整理を試みていたが、建物が花水館の奥にあることで、全体の姿がとらえ切れていなかった。それが、花水館の廃業によって姿を現したことを機に「節目よりは、継続を意識すべき正月②:福島の建築42~花水館⑤<奥の間御殿>」として整理し直している。
 http://kazenoshin.exblog.jp/14415214/
 ただし、どちらも小笠原國太郎氏の仕事として意識していないことが分かる。
by shingen1948 | 2016-11-26 08:50 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)