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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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亀岡邸の設計に江川三郎八がかかわる⑭:福島の建築(12の2)

 江川三郎八氏がかかわったと思われる藤橋の架かっていた場所を確かめたくなるが、これが容易ではなさそうだ。
 「橋梁史年表」の6代藤橋、7代藤橋が現:藤大橋の位置にかかる橋なのだと思う。注目は、その5代藤橋の特記事項に「昭和28年(1953)8月7日片門発電所ダムで水没」とあることだ。
 少なくとも5代藤橋は、現在では水没している位置に設置されていたという事になる。
 もう一つ気になるのが、3代藤橋の流失が1913年なのに、4代藤橋はその10年も前の明治36年(1903)に開通していることだ。
 つまり、3代藤橋まで架設されていた橋の位置と、4代藤橋以降架設されていた位置は違うという事であり、更に、ここは現在水没しているという事である。
 現在の藤大橋は、昭和28年(1953)8月7日片門発電所ダム建設に伴う水位上昇にかかわって架設された橋らしいということが分かる。

 このことにかかわって参考になるのが、「山さ行がねが」というサイトの「ミニレポ 国道49号旧道 旧旧藤橋」というページだ。
http://yamaiga.com/index.html
a0087378_556334.png その情報をお借りして、藤橋の変遷を図に表示させていただく。
 大正4年~昭和28年の藤橋がかかる位置については、大正6年の地図を元に、実際に歩いてみたようで、「橋梁史年表」の4代藤橋の橋げた痕跡も見つけられているようだ。
 明治8年~大正2年の藤橋の位置は、「柳津町誌」に明治以来の初~5代目藤橋は、6~7代目藤橋の60間(108m)下流にあったという情報を元にした推定のようだ。

 ここに、「橋梁史年表」の藤橋情報から読み取れることを重ねてみる。
 6代7代藤橋が、昭和28年~現在の位置、4代、5代藤橋が、大正4年~昭和28年の位置、それ以前の藤橋は、明治18年~大正2年の位置ということになろうか。
 ということは、江川三郎八氏がかかわったと思われる橋の架かっていた場所は、明治18年~大正2年の位置という事になる。また、前回の写真の藤橋は、大正4年~昭和28年の位置という事になる。
by shingen1948 | 2016-11-17 08:54 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)